統括SVの最大の仕事は人材育成だ

当時の米国マクドナルドの人事管理の考え方(フードサービスチェーン一般の考え方でもあった)は米国陸軍の人事管理を参考にしている。
当時の外食産業の課題は短期間に集中出店するために、未熟練労働者を短期間でトレーニングする事であった。社団法人日本フード・サービス・チェーン協会推薦の「レストラン・マネージメント」と言う本では(注1)。米国のマネジメントシステムの原型は米国陸軍の組織体の諸原則であると言っている。この特徴はピラミッド型の組織体性を作り上げ、効果的な指揮命令系統を作り上げることにあった。
組織体の諸原則(米国陸軍統制要項より)の重要な内容は
1人の指揮者が管理可能な直属の部下の数を6ー7名とした。
組織を店舗運営のラインと本社スタッフの活動を明確に分けた。
ラインの業務のマニュアル化
であり、この米国陸軍のような堅固なピラミッドの組織体系と、マニュアル化の導入が行われるようになった。この考え方は現在でも「統合軍参謀マニュアル」として生きている。(注2)
統括SVの仕事は陸軍の組織体の諸原則に基づき、6名のSVを管理することだった。SVは最大5店舗担当しているから30店舗、1店舗には平均4名の社員と60名のアルバイトが在籍するから、社員120名、アルバイト1800名と言う大所帯の管理だ。この単位をプロフィットセンターという。統括SV単位の利益管理をきっちりと押さえるという事だ。
SVの時には担当店舗別の損益計算書で、SV単位の損益計算書はなかったが、統括SVには統括SVエリアの損益計算書とMOR(月報)がきちんと存在し、毎月、売り上げ伸びの順位、利益の伸び順位、利益高順位、のリストが出る。筆者が統括SVになったのは丁度、江ノ島店を開店してからだった。江ノ島店は154号店だから、統括SVは5名で、筆者は全店の20%の店舗を管理することになったわけだ。当時のマクドナルドは1店舗年商、2億円ほどだから、年商100億円の経営者となるわけだ。
当時、まだ統括SV用のトレーニングシステムなど存在しない。仕事をしながら自分で身につけなくてはならなかった。SVまでは上司による厳しいチェックがあるが、当時、東西に2名いた統括SVの上司である運営部長は本社業務で忙しく、統括SVの業務の管理や教育には目が行き届かず、かなりの自由裁量を持たされていた。
マクドナルドの社員の仕事はどこの段階でも同じく、人物金を有効に使って高いレベルのQSCを実現することだ。このシンプルな哲学こそがマクドナルドが急成長した大きな理由だ。ゴールとそれを実現する手法を明確にしていたからだ。
どこの段階でも同じ仕事であると言ったが、具体的にはその職位により仕事の比重が異なってくる。以前に、店長の仕事は塗り絵で、SVは白紙の紙に自由にかけると申し上げたが、統括SVはさらに描く紙の大きさまで選べると言う、より広い自由度を与えられている。ただし、その仕事の評価は書いた絵が高価な値段で売れるプロの仕事であることを要求される。つまり、利益が第一であるという事だ。店長やSVの段階であると、最大限のQSCを出すために、新しいアルバイトを採用したり、多めに社員を配置しているので、ちょっと利益率が低いと言う言い訳を許されるが、統括の場合は、売り上げと利益の前年対比の数値をクリアーすることを求められる。QSCがよければ数値は達成するはずであり、数値が悪いと言うことはQSCが悪いのだという、シンプルな考え方だ。
当時の本社の役割は、新規店舗の拡大であり、既存店のオペレーションの標準化ではなかった。統括SVの最大の仕事は売り上げと利益の確保であり、それが実現できれば、オペレーション面ではかなりの自由度を持たされていた。後に、現場のオペレーションを統一するために、本社に運営統括本部と運営統括部を作り、全社の情報と店舗オペレーションのコントロールを行うようになったが、それにはあと5年ほどの年月が必要であった。
当時の統括SVの仕事は大きく分けると2つあった。店舗の直接の管理運営と、オペレーションの改善開発というスタッフ業務だ。後に出来た運営統括部はその仕事の内、オペレーションの改善開発と言う業務を受け持ち、統括SV達に店舗運営業務に専念させようと言う物だ。
当時の統括SVはその2つの仕事をしなくてはいけないから忙しかったが、その反面、開発の仕事をするという楽しさもあったのである。ではどんな仕事があったのか見てみよう。
店舗の管理
1.人の管理
「会社の情況」
別表を見ていただければ分かるが、筆者が統括SVの仕事に就任したのは1978年11月から1981年11月までの3年間と、その後米国駐在員を経験し、1984年3月から地区運営部長に昇進する1985年4月までの合計4年間だ。全般の3年間と後半の1年間は会社の状況が随分異なり、統括SVとしての仕事内容も随分変わってきている。
統括SVに就任してから最初の3年間は、店舗数が150店から300店までとハイペースの出店であった。就任当時の統括SVの人数は全国で5名であったから、各統括SV当たり年間10店舗近い新店舗開店だ。新店舗開店に当たり、必要なのは社員だ。1店舗当たり、4名の社員が必要であり、歩留まり(退職率を考えて5名の採用が必要)約50名の新人社員のトレーニングが必要になる。同時に3名のSVと13人の店長の育成を行わなくてはいけない。
当時のマクドナルドはまだ、店舗数が少なく希少価値があり、1店舗当たりの売り上げ平均は年間2億円以上と大変高かった。さらに、月間5000万円以上売れるハイボリュームストアーが数多く出現していた。そのために店長は単なる管理能力だけでなく、数多くのアルバイトをモチベーションできる有能な人材が求められていた。
「ファーストトラック」
そのようなどさくさで人材育成を行うにはトレーニングカリキュラムに則ってじっくりトレーニングするという余裕がない。カリキュラムよりも現場の経験が優先するから、新人社員の優秀な人間をピックアップし、大型店の経験を短時間で積ませ、1年くらいで店長にするという荒技が必要になる。マクドナルドの基本的な人事教育とは環境を重視する。どれだけ色々な店舗や仕事を短時間で経験し、体で仕事を覚えるかという事だ。まるで日本の従来の乱暴な徒弟奉公のように思われるが、違うのは適性を判断し、可能だと思われる人材に短期育成の環境を与えると言うことだ。
この考え方は米国で一般に取り入れられている、フアーストトラックと言う考え方だ。簡単に言うと優先道路、追い越し道路と言うエリート育成コースだ。米国の管理職をトレーニングする際に現場から育つのを待っていると、財務や、経営管理のプロを育てるのに時間がかかりすぎる。そこで、中途社員で、財務、経営管理、弁護士、会計士などのプロを採用し、その彼らに店舗の経験を積ませるという物だ。普通は数週間の店舗研修などでお茶を濁すのだが、米国の場合2年間ほどかけて、店舗のアシスタントマネージャーから、地区本部の運営本部長までの実務を経験させる。だから、会計士などでも現場の状況を翌把握しており、数字上の問題をすぐに現場の問題に置き換えて考えることが可能になり、机上の空論をしなくなる。現在の米国マクドナルドCEOのJack.Greenberg氏もそのファーストトラックのメンバーだ。
この米国式の考え方を日本の新人マネージャーの育成に応用しようと言う物だ。そんな理論を軍事顧問が我々に要求したわけだ。最初はそんなの無理だと思っていたが、店舗がどんどん開店するその圧力には勝てないから、短期育成に取り組むことにした。よく考えたら、各業務の職務基準を明確に決めてあればどんなに難しい仕事でも3ヶ月で覚えられる筈なのだ。仕事を覚えるのに1年もかかるようでは、その人間の才能がないのか、職務基準を明確に決めていないのかどちらかのだ。従来の日本の教育システムは如何にゆっくり仕事を教えるかという観点に立っており(その方が給料を安く押さえられる)、如何に多店舗展開をするかを考えていないのだ。
勿論、ファーストトラックという短期育成には専門知識や、社会経験が必要だ。そのために新卒でそのファーストトラックに乗せると言うより、中途で社会経験のある人間を抜擢するという事が中心になる。勿論新卒もそのファーストトラックに乗せる場合があるが、それは、新卒に対して競争意識を持たせる意味合いからだ。
「SV時代との違い」
SVの時代にもアルバイトから抜擢していたが、所詮、5店舗。社員で言うと25人、アルバイトで300人という少ない人数では優秀な人間を抜擢をすることは難しかった。しかし、統括SVになると30店舗、120人ほどの社員、1800人ものアルバイトがいる。これだけの人数がいると確率的に優秀な抜擢に値する人間を見つけることが出きる。ではどうやってその適性を見抜くかという事だ。当時、その方程式はなかった。マニュアルにもないし誰も教えてくれない。自分で編み出さざるを得なかった。管理職で一番大事なのは将来、自分より優秀になる部下を抜擢できる能力と度胸だからだ。
そのためには、頻繁に店舗を巡回し、どんな働きぶりかを把握する。勿論、入社する前の面接に立ち会い選択をする。マクドナルドの場合人事部は存在するが、人事部に全てを任せるのではなく、なるべく統括SVやSVが面接に参加し、選定業務に携わるようにしている。人事部に任せて、配属された人間が悪いと人のせいにしないと言うだけでなく、、面接の段階からその判断をして、後のその人間の育成や評価を見守ることにより、より精度の高い面接が可能になるからだ。その後、自分のエリアを離れても、人事評価会議で全社員の評価が分かるので、その後の情況を把握できるようになっている。そうして、自らの選別眼を養っていくのだ。
店舗巡回の際にはフロアーコントロールや人の使い方だけでなく、頭脳のチェックも忘れてはいけない。マクドナルドのマネージャーというのは単なる職人ではなく、売り上げを上げたり、利益を管理する経営者でなくてはならないから、肉体労働は出来るが、経営管理に必要な頭脳がないのでは困る。と言って、テストをするわけではない。計数に明るいからだけでもだめだ。損益計算書で人件費が高かったら、その問題点を発見し、無駄な時間帯があったらアルバイトと交渉して、労働時間を削ったり、自ら、生産性が上がるように指導を強烈に行わなくてはいけないからだ。つまり、頭脳とリーダーシップの両方が必要になると言うことだ。店舗を訪問する前に損益計算書や週報、月報を見てその店の問題点を把握しておく。そして、店舗でその問題点は何かを見ながら質問をしていく。大事なのは、数字上の問題点に気ずいており、その数字と現場の問題点の両方を具体的に把握しているかという事だ。
ある店舗で、消耗備品のコストが異常に高かった。その原因を調べていくと、新人のマネージャーが、ケースの入り数と単体の個数を間違え、単体のつもりでケース発注を行い、数年分の消耗備品を発注してしまったのだ。その問題を忘れずに、彼が店舗を移動する際には同じミスをしていないかチェックをしなくてはならない。単なる凡ミスか、継続的なミスなのかの見極めるのだ。店舗のオペレーションを見ながら、品質上の問題が彼の注意力なのか、知識がないからなのかを判断し、注意力が不足するのであれば、店舗オペレーションのチェックをSVと実施させ、何が不足しているかを体験させる。知識がないのであれば、ハンバーガー大学のトレーニングコースを早めに受講させたり、MTPの内容の復習をさせる。医者のように診断を冷静に下し、適切な処置を早めにとっていく。
新卒の場合には社会になれていないからなかなか会社にとけ込めない場合が多い。そこで統括SVエリアで合宿新卒研修を行い、同じ釜の飯を食べ、登山やスポーツをして、団体活動への適応性を見たり、酒を飲ませて将来の希望を聞いたりという、肌理の細かい対応が必要だ。中途の場合には、転職し早く一人前になりたいという気持ちがあるから、現場だけで判断できるが、新卒の場合それだけの対応が必要になる。
「不幸もある」
随分いい加減な人事教育のように思われるが、現場の教育は厳しい物があり、まだまだ精神論的な教育方法を採る店長も多く、新人は新卒、中途を問わず退職率が高かった。退職だけでなく、悩みのあまり自ら命を絶つと言う不幸な事件もあった。筆者の知る限り、4名ほど不幸に巻き込まれてしまった。勿論、仕事そのもののつらさよりも環境のあまりの変化に絶えかねてと言うのが多かった。
新卒の一名と中途の一名は環境の変化と、元々躁鬱気味のためだった。店長時代のアルバイトから入社した一名は人間関係(男女の)もつれからそうなった。筆者が責任を感じているのは店長時代の別のアルバイトだ。当時、マクドナルドに店舗を貸していたオーナーから、社員にしてくれと頼まれ、会社の適性検査に適合しないまま、入社させてしまったことだ。彼も家庭の問題から悩みを抱えており、そのプレッシャーから不幸なことになってしまったのだが、やはり仕事などの環境が大きく影響したようだ。それ以来、縁故による入社は出来るだけさけるようになったのは言うまでもない。
統括SVは教育以外にそんな事故があると真夜中でも、飛び起きて、対策に応じなければいけない。特に不幸などの場合、対応を間違えると大問題になるからだ。先ず、家族の元に飛んでいくとともに、店舗やSVの対応に間違いがなかったか調べなくてはいけない。このような不幸な事故の立ち会い、家族から事情を聞くのは本当につらい物があった。
2.新規開店業務
統括SVの一番の楽しみは新店舗を自らの手で開店することだ。当時のマクドナルドの場合、新店舗の選定から店舗開発と相談したり、店舗のレイアウト、機器の選定、デザインの選定を行っていた。勿論、担当SV、担当店長、配属のアシスタントマネージャーの選定も行う。全て自ら関与しなくてはいけない。場合によっては自分で新店舗を探してきたりする。
筆者が店舗開発の担当者とクレーム処理に赴き、ある地方都市の寂れた駅前で、喫茶店でコーヒーを飲んだ。店は駅前なのに暗く活気が全く感じられなかった。店舗開発担当者と顔を見合わせて、「ここ、貸してくれるんじゃないの」「売れると思うかい?」「ここは3000万円月商はいけるんじゃない」と言う会話の元にあっと言う間に新店舗が誕生した。薄暗い喫茶店が大繁盛店に化けたのだ。
そうやって、自分で選択した店舗を開店するのは楽しい。店舗レイアウトはそのロケションの売り上げ予測に基づき、決定し、細かな自分なりの工夫を凝らしていく。当時は未だ標準化店舗がなく、統括SVのある程度の自由な判断を入れることが出来た。
勿論、新規開店の際には運営部長のチェックが入ることもある。たまたま筆者が地方都市の店舗を担当したときだ。当時の地方都市は未だマクドナルドの知名度が低く最初の売り上げは低かった。上司の運営部長が丁度、他の地方都市の開店に立ち会った。普通の新店舗開店時の売り上げは高いから、既存店のベテランアルバイトを派遣したり、採用したアルバイトを既存店で実習をさせたりする。しかし、その地方店は売り上げが低いだろうと言う予測から、既存店のベテランアルバイトを送らず、自店舗のアルバイトを営業しないでトレーニングした。アルバイトの仕事で一番熟練が必要なのはハンバーガーを作ることだ。その中でもハンバーガーパティをグリドルで焼く作業は一番熟練が求められる。その店では、段ボールをハンバーガーパティの大きさに切ってそれで、並べたり、ひっくり返したりする練習をして、トレーニングを行い、コストコントロールに成功した。
それと同じやり方を筆者に要求された。上司の命令は絶対だから筆者は渋々承諾した。開店の朝が来た。最初の内はなれていないからと思い、運営部長がプロダクションコーラーと言う注文と包装をする仕事、筆者と担当SVがグリドルでハンバーガーを作る仕事を担当した。客席もないし、売り上げを全く予想していなかったが、とんでもない、来る客が1人で10個と言うまとめ買いをする。幾らハンバーガーを作っても間に合わない。すぐ厨房から出ようと軽い気持ちで始めたハンバーガーの製造から抜け出せなくなった。外で見ていた、運営本部長はそのあまりの状態に怒って帰ってしまった。それから数時間ハンバーガーパティを焼いていたら、今度はパティの店舗在庫がなくなってしまった。倉庫がやや離れていたので、アルバイトにミートパティをもってこいと言ったら、どれがそうだか分からないと言うし、地方都市で男子が集まらず、女子ばかり。そこで、筆者はにわかバックマン(搬入担当)となり、倉庫と店舗の搬入をやらされた。店舗のハンバーガー製造は筆者のエリアで「鬼の何とかと言う超人SV」だったから1人で乗り切っていた。
さあ、その失敗以来、新店舗は既存店からどんなに経費がかかってもベテランを送るようにし、社員もエリアのベテランをヘルプで送るという万全の体制を組むようにした。勿論、上司にもそれ以来、新店舗開店の経費の事は何も言われないようになったのは言うまでもないことだ。
この新店舗開店というのは難しい仕事だ。売り上げが高いだけでなく各店舗の寄り合い所帯であり、お互いの力量を知らない。短時間で各アルバイトの適性を判断し、適正なポジションに配置しないと最大限の売り上げを確保できない。
この難しい新店舗開店は店長や、アシスタントマネージャーの適性を判断する一つの場にもなったのだ。何時もいる店舗だと、優秀なアルバイトやスイングマネージャーがいるので、本人のフロアーコントロールが多少悪くても乗り切ってしまう。しかし、新規店舗だとそんなごまかしが利かず、オペレーションが弱ければすぐ分かってしまう。
このように、店舗訪問や数値管理、新しい店舗での適応力などの総合的な見方で、ファーストトラックにふさわしいマネージャーを選定していくのだ。
「マクドナルドの店舗数と売り上げ、筆者の職歴」
マクドナルドの店舗数、売り上げ、筆者の業務経験を見てみよう。
(店舗数と売り上げは年末の数字)
1971年(昭和46年)
1月・筆者家業の飲食業を退社、レストラン西武(現、西洋フードシステム)入社
2月・筆者ダンキンドーナツ事業部へ配属
5月・藤田商店と米国マクドナルド、合弁で日本マクドナルド㈱設立。
・筆者、ダンキンドーナツ実験店配属
6月・日本マクドナルド、ハンバーガー大学開校。
7月・マクドナルド1号店(東京・銀座)オープン。
マクドナルド
店舗数 5店舗
年商  205(単位百万円)
1972年(昭和47年)
1月・筆者ダンキンドーナツ3号店田無店開店時店長となる
7月・マクドナルド、関西進出1号店を藤井大丸に出店。
店舗数 19店舗
年商  1、544(単位百万円)
1973年(昭和48年)
1月・筆者ダンキンドーナツを退社、日本マクドナルド入社
・日本ハンバーグ・ハンバーガー協会発足。
7月・筆者、マクドナルドファーストアシスタントマネージャーへ昇進
店舗数 39店舗
年商  3、798(単位百万円)
1974年(昭和49年)
4月・筆者、店長に昇進
店舗数 59店舗
年商  6、798(単位百万円)
1975年(昭和50年)
3月・筆者スーパーバイザーに昇進
12月・マクドナルド、年商100億円突破。
店舗数 79店舗
年商  10、351(単位百万円)
1976年(昭和51年)
11月・マクドナルド100号店(大阪・針中野)達成。
店舗数 104店舗
年商  15、119(単位百万円)
1977年(昭和52年)
4月・マクドナルド、初の郊外型独立店(愛知・豊田)開店。
10月・マクドナルド、初のDT付帯店(東京・高井戸)開店。
11月・筆者ハンバーガー大学プロフェッサーに就任
店舗数 125店舗
年商  22、508(単位百万円)
1978年(昭和53年)
4月・マクドナルド、新商品のクォーターパウンダー導入。
10月・マクドナルド、全世界で5、000号店となる神奈川・江ノ島店をオープン。
11月・筆者統括スーパーバイザーに昇進、東京北部を担当
店舗数 158店舗
年商  31、709(単位百万円)
1979年(昭和54年)
10月・マクドナルド、新商品エッグマフィン導入。200号店(東京・用賀)もオープン。
店舗数 204店舗
年商  40、392(単位百万円)
1980年(昭和55年)
2月・筆者統括スーパーバイザーのエリアを東京西部に変更
店舗数 250店舗
年商  50、082(単位百万円)
1981年(昭和56年)
7月・マクドナルド300号店(横浜・元町)オープン。
11月・筆者、米国店舗の統括責任者として渡米
店舗数 284店舗
年商  60、431(単位百万円)
1982年(昭和57年)
1月・マクドナルド、チキンマックナゲットをテスト販売。
店舗数 315店舗
年商  70、293(単位百万円)
1983年(昭和58年)
12月・マクドナルド400号店(大阪・戎橋)オープン。
店舗数 346店舗
年商  84、655(単位百万円)
1984年(昭和59年)
3月・筆者、帰国、関西地区統括スーパーバイザーに就任
12月・マクドナルド、年商1、000億円突破。通算15億個めのハンバーガーを販売。
店舗数 393店舗
年商  107、968(単位百万円)
1985年(昭和60年)
2月・マクドナルド、朝食メニューを全店に導入。
4月・筆者、関西地区運営部長に昇進
同時に業務課、営業技術課を担当
6月・マクドナルド500号店(東京・用賀)オープン。
店舗数 451店舗
年商  118、832(単位百万円)
1986年(昭和61年)
店舗数 489店舗
年商  130、385(単位百万円)
1987年(昭和62年)
1月・マクドナルド、サンキューセット発売開始。
4月・マクドナルド、東京でフレッシュサラダの実験開始。
5月・筆者、中央地区本部発足に伴い、中央地区運営部長として転任。
同時に業務課、営業技術課を担当。
6月・KFC、ビスケット発売。
店舗数 507店舗
年商  143、597(単位百万円)
1988年(昭和63年)
2月・マクドナルド、初の国内独自開発商品ベーコンマックバーガー限定発売。
10月・筆者、本社、運営統轄本部運営統括部長、兼、海外運営部長就任。
11月・マクドナルド、プリペイカードの実験に着手。
店舗数 555店舗
年商  152、963(単位百万円)
1989年(平成元年)
4月・筆者、運営統轄本部運営統括部長、兼、海外運営部長、兼、機器開発部長に就任
7月・マクドナルド700号店(東京・新宿)オープン。
9月・マクドナルド、米国玩具小売りチェーントイザラスと合弁で日本トイザらス㈱設立。
店舗数 600店舗
年商  162、774(単位百万円)
1990年(平成2年)
10月・筆者、本社事業開発部長就任、新商品開発に従事。
店舗数 654店舗
年商  175、475(単位百万円)
1991年(平成3年)
5月・マクドナルド、フライドチキンのテスト販売開始。
12月・マクドナルド、トイザらス1号店(茨城・稲敷郡)オープン。
・マクドナルド、外食産業初の年商2、000億円を突破。
店舗数 店舗
年商  (単位百万円)
1992年(平成4年)
・トイザらス橿原店、マクドナルドと初の複合出店。
・マクドナルド900号店(神奈川・相模原)。
4月・筆者、日本マクドナルドを退社。
店舗数 店舗
年商  (単位百万円)
(注1)
「レストラン・マネージメント」
監修者 力石寛夫
訳者 芝山忠彦、武田二美
1975年発行
発行所(株)プラザ出版
(注2)
「統合軍参謀マニュアル」
J.D.ニコラス空軍大佐
G.B.ピケット陸軍大佐
W.O.スピアーズ海軍大佐
監訳 野中郁次郎
訳 谷光太郎
1987年12月発行
発行所(株)白桃書房
以上
お断り
このシリーズで書いてある内容はあくまでも筆者の個人的な経験から書いたものであり、実際の各チェーン店の内容や、マニュアル、システムを正確に述べた物ではありません。また、筆者の個人的な記憶を元に書いておりますので事実とは異なる場合があることをご了承下さい。

著書 経営参考図書 一覧
TOP