外食資料集 「居酒屋」(綜合ユニコム 月刊レジャー産業資料2008年9月号)

居酒屋 レジャー産業資料集本文

居酒屋はお酒と食事を一緒に食べる団欒の場であり、日本で最初にその業態を作り上げたのはビール会社が経営するビアホールだろう。
1899年(明治32年) 8月4日東京・銀座の新橋際にサッポロビール(株)の前身、日本麦酒(株)が「ヱビスビヤホール」開店したのが最初のビアホールだ。第2次世界大戦後、アルコール類の経済統制が解除されてから、各ビール会社がビアホールを繁華街に展開しだしたのが種類と食事を一緒に食べる場の居酒屋業態の始まりだろう。
飲食業、特にお酒を扱う業態は水商売と言われ、しっかりした企業になれないと思われていたが、そのイメージを変え、チェーン化を可能にしたのが、養老乃瀧株式会社だ。1951年6月に長野県松本市に(株)富士養老の滝を設立し、1956年12月に首都圏に進出し、当時既に目標100店舗というスローガンを掲げ、チェーン化にまい進し、1965年12月に100店舗を達成した。そして、1966年4月にフランチャイズチェーン(のれん貸し)の第1号店を開店し、居酒屋業態もチェーン化が可能であることを立証した。
昭和21年創業の鮒忠も1970年頃にはチェーン化に着手し、フランチャイズチェーンのチェーン展開の理論を構築し始めた。また、同時期に大庄が創業し、後に社員へののれんわけ制度を開始するようになった。
しかし、まだ水商売と言われていた居酒屋業態を大きく変えたのが、天狗を経営するテンアライドだ。1969年12月天狗チェーン (株)を創立し池袋西口に1号店オープン。その後、1977年にテンアライド (株) へ商号変更し、1986年には業界初の株式店頭公開を公開し1995年9月に東証1部上場を果たした。この天狗の上場により居酒屋業界に対する世間の目が変わり、金融機関も積極的に貸し出しをするようになり、続々と居酒屋チェーンが誕生するようになった。
居酒屋が大衆化する原動力になったのは北海道で誕生した若者向けの居酒屋のつぼ八だ。1973年札幌市西区琴似で石井誠二氏(現・㈱八百八町代表取締役)が創業した。その時の店の坪数が8坪だったことから「つぼ八」と名づけられた。北海道の豊富な魚介類を使い、若者でも食べられる価格設定にしたことから繁盛店となり、その勢いで1978年より、北海道でのフランチャイズ展開を開始した。1982年にはその繁盛ぶりに注目した総合商社の「伊藤萬」(現在の住金物産)と合弁で、「株式会社つぼ八」を設立しフランチャイズチェーン展開を開始した。その北海道系居酒屋の繁盛振りをみて同様の業態の村さ来が1973年に創業、1978年にはフランチャイズチェーンの展開を開始した。
つぼ八などの北海道系居酒屋や天狗が人気を呼んだ大きな理由は価格設定だ。飲み物を2杯と料理3品で2500円というわかりやすい価格帯にして、学生やサラリーマンが気楽に利用できるようにしたからだ。
つぼ八は大衆的な価格帯を実現しただけでなく、その後の大手居酒屋チェーンの誕生にも大きな影響を与えた。つぼ八のフランチャイジーとして加盟したのが現在白木屋などを経営するモンテローザの大神氏とワタミの渡邊美樹氏だ。つぼ八は積極的にチェーン展開を開始したがやがて経営方針の食い違いから創業者の石井誠二氏は退任してしまった。その石井誠二氏の薫陶を受けた、大神氏と渡邊氏は独立しそれぞれの居酒屋チェーンを開始し、モンテローザの2007年の年商は1255億円で外食業界7位、ワタミの2007年の売上は720億円で外食業界22位となっている。これらのチェーン企業の成功により居酒屋業界は名実と供に水商売から脱却した。
この低価格居酒屋にも問題がある。企業間の商品やサービスに差が少なく、競合に弱いということだ。低価格居酒屋の成功要因は立地が全てであり、企業ブランドは弱くても大型店舗で何時でも入れる店舗が成功する。ファストフードやファミリーレストランは基本的に一階などの入りやすい場所でないと成立しないが、目的来店の居酒屋の場合はビルの最上階や地下などの不便な場所でも成立するために家賃が安いというメリットがあり、駅前などに居酒屋ビルが乱立する要因となり、競合が激化しやすい。また、食品メーカーの商品開発が進み、店舗でアルバイトでも簡単に調理できる料理が増加し、新規参入が容易となった。
また、消費形態の変化がおき始めた。それは若者のアルコール離れだ。低価格居酒屋を支えていたのは大学生と若いサラリーマンだ。大学生はコンパを居酒屋で開き、一時は一気飲みによる泥酔事故がおきるほど居酒屋は大人気であった。しかし、その若者の人口が減少すると供に、若者のアルコール離れが顕著になった。また、大勢で気勢を上げて飲むという形態が格好が悪いと嫌われるようになった。また、サラリーマンも長らく続く不況の中で小遣いが増えず、居酒屋の利用頻度が下がるようになった。企業は従業員の福利厚生の一環で社内接待などに居酒屋を使っていたが、だんだん経費削減がきつくなり、社内接待での居酒屋の利用が減ってくるようになった。この現象が見られるようになったのは1990年代の後半である。
学生やサラリーマンの団体客の減少した、だだっ広い低価格居酒屋は寒々とした印象を顧客に与え、個人客にもそっぽを向かれるようになってきた。
低価格居酒屋は団体客から個人客にシフトする必要がでてきたが、ネックになるのは冷凍食材を多用する品質の悪さだった。冷凍食材をアルバイトに調理させることで、食材コストと人件費を抑えるのが低価格居酒屋の収益の源で会ったが、その低品質の料理では個人客を獲得することが難しくなった。
1990年になると官官接待や企業間の接待が少なくなり料亭や老舗和食店が続々と閉店するようになった。その結果、和食調理人の人件費が低下し、居酒屋でも和食の調理人を使うことが可能になった。
居酒屋業態の増加に注目したのが、ビールとしては後発のメーカーとなるサントリーだ。キリン、アサヒ、サッポロの3大メーカーの後塵を拝している状況から抜け出そうと居酒屋業態に注目し、サントリーのビールを使ってもらうために1991年に居酒屋業界のサポート業のミュープランニング&オペラーターズを創設した。ミュープランニングは店舗を設計するだけでなく、メニューの開発まで全ての業務を請け負うようにした。特に、注力したのは単にデザインではなく、トレンドを分析したコンセプト作りだ。
そのミュープランニング&オペラーターズに依頼して、女性に人気のある居酒屋「手作り料理とお酒 えん 池袋西口店 」を1996年に開業したのがBYOだ。店舗のデザインだけでなく、女性にも人気のある料理を料亭のような綺麗な器に盛り付け、個室で提供するスタイルは大人気となった。現在では山手線の駅前のベストロケーションに平均150席の大型店舗を20店舗以上経営するようになっている。
株式会社ラムラは1980年に創業し、最初は日本橋亭という天狗に類似した低価格の居酒屋を展開していた。しかし、池袋西口で開店した日本橋亭と同じビルに開業した「えん」の成功を見て、個人向けの個性的な居酒屋業態を開発した。それが1998に開業した土風炉(とふろ)だ。江戸時代の宿場の雰囲気を演出し、個室を用意してカップルや少人数の宴会に使えるようにした。そして、女性客やカップルを獲得しようと、有名なインテリアデザイナーの橋本夕紀夫氏を使って設計したお洒落な中華居酒屋の過門香(かもんか)、小阪竜氏設計の和風居酒屋の音音(おとおと)などを続々と開業した。
この2つの企業の成功を見て、1998年頃より手造り感のある料理をお洒落な空間で提供する居酒屋業態が続々と開業するようになった。
1993年に関西で「ちゃんと」を創業した岡田賢一郎氏はそのインテリアデザインの重要性と盛り付けの綺麗な創作料理に注目し、「キムチの王様」で日経レストランメニューグランプリにて大賞受賞した後、1997年10月にお洒落なデザインの「橙家」心斎橋店を森田恭通氏設計でオープンし、その勢いで1998年10月に「橙家」新宿店をトップデザイナーの杉本貴志氏の設計で開業し大人気を呼んだ。
1998年5月に創業したメッド・ダイニングは恵比寿に忍庭という全て個室の居酒屋を開業し、予約が取れない繁盛店となり、これ以後、居酒屋ではデザイナーを使った個室が主流になるようになった。この動向をつかみ上場を短期間で実現したのが豆腐や湯葉を売り物にした個室居酒屋の三光マーケティングフーズなどだ。
この動きをみて、大手居酒屋チェーンは対応を迫られた。ワタミは森田恭通氏を起用して、新業態「ごはん」を造り、その後、座ワタミなどの個性的な居酒屋に転換するようになった。また、コロワイドはミュープランニング&オペレーターズを起用してラ・パウザというイタリアン居酒屋を開業した。

しかし、これらの変化によっても居酒屋・ビアホールの市場は衰退しつつある。外食産業総合調査研究センターによると、2007年の「居酒屋・ビアホール等」の市場規模は1兆1013億円。ピークの1992年から24%減少した。
団塊の世代は高齢化し退職をはじめ、若者はライフスタイルが変化による酒消費の現象、不景気などが影響しているようだ。そのような厳しい業界に追い討ちをかけたのが飲酒運転の強化であり、地方経済の低迷とあいまって、地方の郊外型居酒屋は壊滅的な状態にある。
関西に拠点のあるマルシェは地方へのフランチャイズ展開が多く、飲酒運転規制の影響を強く受け、お酒主体のお店から、食事中心のお店への転換をするため、店舗のデザインの見直しや食材の見直しをしている。その一環としてカウンター寿司業態やスペイン風居酒屋を繁華街に進出しようとしている。
また、ワタミ、マルシェ、などは活路を海外に求め、中国や東南アジアへの進出を行っている。
そんなチェーン企業の間隙をついてチェーン展開をしているのが、キチリやダイヤモンドダイニング、などの企業で、企業としてチェーン展開をしていくが、店舗ごとにデザインやメニュー形態を変更し、顧客からはチェーンに見えないような工夫を凝らすようになった。

居酒屋業態ではチェーン企業が飽和状態で不振であるが、個性的な個人経営の居酒屋はまだ元気である。ここ10年ほど主流となってきたのが美味しい手造り料理を落ち着いたデザイン性の高い個室の居酒屋であったが、最近はまた、傾向が変化しつつある。
個室居酒屋の価格が高く、ちょっと気取った雰囲気では数人のグループで訪問した時は堅苦しい。といって個性のない従来の低価格居酒屋では物足りない。そんな消費者の変化に対応して出現したのは、明るくにぎやかな店内、隣の客と肩がふれ合わんばかりの狭い店内の、魚市場風居酒屋が人気を呼んでいる。中野にある「中野うろこ本店」は魚屋で使うトロ箱などをテーブルや椅子に使い、まるで魚市場の一角か海の家の掘っ立て小屋で飲み食いをさせる雰囲気を演出し、魚介類をテーブルの上のコンロで焼いて食べさせるという鮮度感を演出して大人気だ。
また、居酒屋は元気の良いサービスが重要だと、居酒屋甲子園という組織をつくり、コンテストで各居酒屋のサービスを競うようになっている。
これからの個人経営の居酒屋は客単価4~5000円の間で、店舗コンセプトを明確にして、専門性を出し、素材を吟味した料理のレベルを向上し、元気の良いサービスを提供することが必要になるだろう。九州博多に本社を構える「釣船茶屋ざうお」は巨大な生簀に浮かべた船の上で客に釣りをさせ、取れた魚は格安で捌いて提供する。客が釣り上げると従業員が集まり、大漁節を歌って盛り上げる。エンターテイメント型の居酒屋だ。このような個性の溢れる居酒屋はチェーン居酒屋の不振を横目に大盛況なのだ。

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