伝説のサービス(商業界 飲食店経営1999年7月号)

とんかつ「とんき」
筆者が子供の頃から40年以上通っているとんかつの目黒「とんき」と言う老舗がある。超繁昌店だから、夕飯時には長蛇の列だ。一階は白木のカウンターに囲まれたオープンキッチンで、カウンターの周りを待っている客用の椅子が並んでいる。客は店内に入ると列を作らずに適当に並ぶ。始めての人は適当に並んでいるから順番を忘れられるのではないかと心配になる。しかし心配ご無用、先代の女将(だと思う)「ご注文は?」とさっと声をかけ、席が空くと入ってきた順番に案内する。女将はにこりともしないが的確に客を捌いていく。その見事な客さばきに思わず固定客になる人も多いのだ。
飲食店の世界にQSCを持ち込んだのはマクドナルドを筆頭とする米国のFFやFRだと言われているが、マクドナルドが来る前からこの店は高いQSCを誇っていた。勿論QSCなんて言う難しいことは一言も言わないが、天井を見てみるとフライヤーの上に天蓋なんて無粋な物はない。簡単な換気扇があるだけだ。でも天井や下がり照明の笠にも脂のシミやほこりはついておらず、ピカピカだ。白木のカウンターも毎日磨き上げているかのように真っ白だ。厨房は丸見えだから汚れ一つない。40年以上前からドライキッチンで、真っ白なすのこで覆われている。従業員のユニフォームとズック靴も毎日洗っているのだろう真っ白だ。

サービスと言ってもにこにこするわけではないが、客の食べている様子をきちんと把握している。ご飯のお代わりをする頃にはさっとお盆を差しだし、キャベツがほしそうな顔をするとススーと盛りつけてくれる。額に汗をかきながら食べ終わると間髪を入れず冷たいおしぼりを差し出す。 肝心のとんかつは大鍋で揚げ、それをカットし盛りつけをするのだが、各人の作業は流れ作業のように無理無駄がない。無駄口を一言もきかないで整然と仕事をする。店主はとんかつを丁寧にカットし、一枚一枚品質をチェックし、綺麗に盛りつけている。

この店は日本で数少ない外人を連れていって喜ぶ店だ。完全に調理をしている肉だから喜ぶのではなくて、まるでショーを見ているような店内の作業に感激してしまうのだ。

ビアーホールの神田小川町「ランチョン」
最近でこそビアーホールがたくさん出てきたが、その老舗中の老舗がランチョンだ。創業90年になるという。筆者が近所のマクドナルドのマネージャー時代、2代目の先代の親父がディスペンサーの前に立っていた頃から通っている。明治時代の開業で現在3代目と4代目の家族で経営している。先代の親父は小柄の白髪頭でにこりともしないぶっきらぼうな怖い親父だった。最初に店に行くとビールは緊張して飲まないと怒られるような雰囲気だった。いやに愛想の悪い親父だなと思ってビールをぐいっと飲み干すと(この店は薄手の中ジョッキしかおいていない。大ジョッキだと飲んでいる間にきめの細かい泡が消えてしまい、温度が上昇して美味しくなくなるからだ。きめの細かい泡が立つようにビールグラスは綺麗に洗浄され冷却されている)この怖い親父と目があった。そして親父が無言で「もう一杯いるか?」と目配りする。それに「うん」と頷くとさっとビールを注いでテーブルに運ばれてくる。
ビールというのは飲みたいときに間髪を入れずにもって来るというタイミングが重要だ。大きなビアーホールで追加注文したのになかなかもってきてくれないと、盛り上がった場が白けてしまうし、飲もうという気合いもなくなる。この親父は愛想こそないが全身と五感を使ってお客に注意を払っているのだ。だから何の役にも立たない笑顔なんか浮かべていないのだ。

元々、洋食屋だから、ビーフシチュウやカレーライス、等の洋食も昔からの味で美味しいのも嬉しい。ビアホールというと夜からの場合が多いがここは昼から休みなしで営業している。ランチのラッシュが終わった後、ビールで飯を食べるというのんびりした情緒あふれる雰囲気も最高だ。

洋食レストラン神戸「ハイウエイ」
ずいぶんしゃれた名前だが、谷崎潤一郎の小説に出ていたので有名になったと言う老舗の神戸トーアロードにある洋食店だ。先代の親父は昔、外洋航路の客船に乗っていて陸に上がってから洋食屋をやったのだ。ここは昔ながらの洋食屋でステーキとビーフシチュウが旨いのが特徴だ。ちょっと足の悪い先代は白い制服に超ネクタイという昔ながらのきちんとした服装で、1人1人の客に挨拶をしていく。そして、料理の質問をすると丁寧に作り方を説明してくれる。テールのシチュウは皮付きだったのには感激した(今は皮はついていない)。味も良いのだが、何時も変わらない清潔な店内と親父の温かいほんわかした雰囲気が最高の店だった。こんな情緒ある店も阪神大震災でビルを立て替えたが、相変わらずの雰囲気で残っているのは神戸トーアロードならではだろう。(先代の親父はいないのは残念だが)
経営者の強烈な個性が出ているというのが老舗の特徴だ。
何も特別美味しいとか、サービスが良いというのではなく、客と経営者の気持の交流ができるのが老舗のポイントだ。これだけはどんなにチェーンレストランが流行っても真似をすることが出来ない。老舗をよく見てみると単に味だけでないのがよく分かる。客への真剣な心配りと妥協をしない品質への愛情が第一だ。そして、店舗も創業時の状態を出来るだけオリジナルのままで保っており、久しぶりに訪問したときに、生まれた家を訪ねたような懐かしさを感じさせるという雰囲気の維持だろう。

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