マクドナルドのユニフォームの歴史(財団法人味の素食の文化センター発行[ヴェスタ]63号2006年8月1日発売)

マクドナルドのグローバル化―制服が果たす役割

1940年にカリフォルニア州ロサンゼルスより東50マイルにあるサンバーナディーノにマクドナルド兄弟が小さなハンバーガーショップを開店させ大繁盛させた。その店舗の特徴は

<1> セルフサービス
人件費を下げるためにセルフサービス方式を採用した。
<2> 男性従業員
高校生の溜まり場にならないように女性ウエイトレスを廃止し、従業員全員を男性とした。 <3>目立たせる
店舗は八角形のガラス張りで、目立つ赤と白のストライプのタイル張りとし、店舗の屋上には黄色い照明入りのアーチを2つかけ、Mマークとして夜間でも遠くから一目瞭然とした。
<3> 照明の色とユニフォーム
店舗をよりすっきり目立たせるため、やや冷たい色の蛍光灯照明を採用した。従業員を船などの乗組員を意味するクルーと呼び、真っ白な上下のスーツに白いエプロンを組み合わせ、真っ白な紙の帽子を着用させた。
<4> メニューの絞込みと値下げ
料理メニューをハンバーガーとチーズバーガーの2種類だけにして、ハンバーガーを15セントと言う低価格で販売。
<5> フォード生産システムを研究
フォードの自動車工場のように生産性を高める流れ作業方式を導入し生産性を高めた。

マクドナルドへシェイクのミキサーを販売していたシカゴ在住のレイクロック氏は、自伝であるGrinding It Outに「ガラス張りの清潔な店舗と真っ白なユニフォームに深く感銘を受けた」と書いている。 クロック氏はマクドナルド兄弟からマクドナルドの独占的営業権を買い取り、現在のマクドナルドコーポレーションに成長させた。 クロック氏がシカゴ郊外のデスプレインという町に開いた最初の店舗はマクドナルド博物館として保存されており内部を見学できるようになっている。店舗の周囲には当時の車を陳列し、店内には当時の調理器具をレイアウトし、創業時のユニフォームをまとわせたマネキン人形を置いている。

当時の店舗とユニフォームの写真が掲載されている、McDnald’s Behind The Archesには2代目社長のフレッドターナー氏が「毎朝クロック氏が店舗に入る前に周辺に散らばった紙コップやゴミを拾ってきていた」と述べられている。クロック氏は大変綺麗好きで、従業員のユニフォームが少しでも汚れていたり、従業員が髭を剃り忘れていたりしたら大変怒ったようだ。 レイクロック氏にとって、清潔な制服はお店のイメージを大きく左右し、マクドナルド社の会社の理念である。QSC+V(品質、サービス、クレンリネス、価値)と言う考え方を代弁するものであった。そこで、氏はフランチャイジー(チェーン店舗加盟者)に対して契約書で、マクドナルドのユニフォームの着用を厳格に定めた。同社最初の運営マニュアルには店舗に供えるユニフォームの数量と、近所のクリーニング屋との契約を明記している。 また、クルーが着用する紙の帽子は白、ブルー、赤の3種類そろえ、白はトレーニー(見習い)、ブルーはアルバイト、赤は社員マネージャー用として、客に誰が店舗の責任者か明確にわかるようにした。

当初は会社のポリシーで男性従業員だけであったが、1965年にあるフランチャイジーが教会の牧師の奥さんや主婦を従業員として採用し、その後1968年にはマクドナルド社は公式に女性も従業員に採用することを認めた。そこで、ユニフォームのデザインをオッテンハイマー社Ottenheimer & Company社に依頼し作成した。  1971年にマクドナルド社はアメリカ大陸以外では初の店舗を日本で開店しグローバル化の第1歩を踏み出した。米国マクドナルド社の店舗は郊外型のドライブイン形式が一般的であったが、日本のマーケットの特殊性を考慮して、都心の銀座三越に1号店を開店した。米国と異なる立地を認めたが、店舗のイメージは米国と同一となるように、米国と同じロゴマークの看板と従業員のユニフォームの採用を契約書に明記し実行させた。当時の日本のレストランは赤やオレンジ色などの暖色系のユニフォームを採用していた中で、白やブルーのクールなユニフォームは大変珍しく映ったのだった。

第一号店は銀座の歩行者天国とあいまって大人気となったが、従業員にユニフォームを着せて周囲を清掃させることにより、そのユニフォーム姿が人気を呼び、アルバイト募集には困らないほどであった。 さて、マクドナルドの初期のこのユニフォームは後から女性ユニフォームを追加したため、総合的なデザインのバランスに欠けていた。また、当初のマクドナルドは客席がなかったが、客の要望により客席を備えるようになった。当初は50席ほどの小さな客席で会ったが、だんだんと大きくなりやがて150席ほどの規模となり、70年代には通常のコーヒーショップのように落ち着いたデザインの店舗が出てきた。そうするとユニフォームも従来の白や薄いブルーの色ではそぐわなくなるケースが出てきた。そこで1975年にスタン・ハーマンStan Herman氏に依頼し、ユニフォームのデザインを依頼することにした。

Herman氏は著名なファッションデザイナーで航空会社のTWAやレンタカーのエイビスAvis社などの制服を手がける実績を持っていた。氏のデザインしたマクドナルドの制服は、紙製の帽子の替わりにジョッキースタイルのキャップを採用し、上着には米国では始めてポリエステル生地を採用し、色はイエロー・ネイビー・ブルー・グリーン・ブラウン・水色、と6色を取り揃え、ストライプ模様にした。ズボンは上着の色にマッチした濃い淡色のジーンズ風とした。 社員はこげ茶か薄茶のブレザーとズボン、または、スカートのスリーピースとした。また、客席を備えるようになると単純なセルフサービスでは色々な顧客の対応が出来ないため、客席に男女の専門スタッフを配置して顧客の要望にこたえるようにした。通常の従業員との役割の違いを明確にするために職名をスター (Store Activities Representatives)と名づけ、赤いブレザーと黄色のエプロンを用意した。また、同社はパートタイムのマネージャー職としてスイングマネージャーと言う制度をつくり、アルバイトに正社員と同じワイシャツとネクタイを与え、従業員のモチベーションに役立てることにした。

この1975年のユニフォームのデザインは大成功で、従業員は店舗外でもユニフォームを着用するほど評判が良く、80年代中ごろまで使われるようになり、世界各国のマクドナルドに順次導入された。  これらのユニフォームは大手のユニフォーム会社のクレストCrest Uniform社や テリーTerry Uniform社などに製造が委託され、色々なバリエーションのユニフォームが店舗ごとに採用されるようになってきた。1店舗当たりのユニフォームの投資は規模により異なるが、おおよそ60万円ほどとされ、店舗数を考えると膨大な投資額となる。そのため日本のカジュアル服販売チェーンのユニクロ社が行う以前の1980年台にはすでに、中国などの低賃金の国で縫製作業などを行う国際分業を取り入れコストダウンを図るようになっていた。また、綿からポリエステルに素材を変更することで洗濯を自宅で行わせ、クリーニング代を節約することを行うことも実施した。 しかし、店舗毎や国により異なるユニフォームを着用することはマクドナルドとしてのブランドの統一に障害が出るようになった。そこでマクドナルド社は2000年に社内にユニフォーム研究会を作成し、どうするべきかを検討することにした。その結果クルーがプライドを持て、かつ、プライドをもてるデザインで、しかも耐久力があり働きやすいデザインを開発することにした。社員のユニフォームも自然な綿風素材を開発した。

マクドナルド社は1990年代の後半から1ドルや100円などの価格戦争に巻き込まれ、安売りのために格好の良かった店舗のイメージがだんだん陳腐化するようになってきた。また、世界的にファストフードの食品は体によくないという批判を浴びるようになった。健康問題(カロリー過多、炭水化物を揚げると発癌性物質のアクリルアミド発生の恐れ、ショートニングなどのトランス脂肪酸の健康問題)をかかえた。また、マクドナルドの郊外型店舗デザインのダブル・マンサイド(屋根裏部屋形天井スタイル)は重苦しくダサいし、従業員のユニフォームも格好が悪く外に来ていけないと言うデザイン上の問題をかかえだした。 そこで2005年5月に創業50周年記念を祝ったマクドナルド社は、それらの問題点を矢継ぎ早に解決することにした。健康志向の消費者向けの対策として、サラダメニューと脂肪分の少ないチキンサンドイッチを採用した。ダサいと言うイメージに関してはTVコマーシャルに、若者に大人気の歌手ディスティニー・チャイルドを採用した。店舗デザインでは、重苦しいダブル・マンサイドの建物外観の替わりにモダンな2階建てを採用し、店頭にはスターバックスを思わせるマックカフェを配置、店内には無線LANでインターネットにアクセスできるようにした。

そして、最後の対策がユニフォームだ。若者の間ではマクドナルドのユニフォームがダサいのでアルバイトに行かないと言う風潮が出ていたのに対応し、若者に人気のトップ・ファッションデザイナーのトミー・ヒルフィガーTommy Hilfiger 、ショーン・ジョンSean John,ラルフ・ローレン Ralph Lauren, あアルマーニArmani,アメリカン・イーグル American Eagle,アバクロンビー・アンド・フィッチ Abercrombie & Fitch 、ロカウエアーRocawearなどにユニフォームを依頼すると発表した。クルーがトップデザイナーのユニフォームを着て町を歩けるようにするのが目的のようだ。  従来は店舗のデザインやBGM,TVコマーシャル、ユニフォームを世界各国のマクドナルド現地法人に選択をさせていた同社であるが、今後はそれらを統一し、マクドナルド全体を若返らせようと言う狙いを持っているようだが、その戦略が成功するかどうか注目されるだろう。

参考資料

<本>
「McDonald’s Behind The Arches」 Love,John F. Bontam Books,Inc.1986年
「Grinding It Out」Kroc,Ray with Anderson,Robert Henry Regnery Co.1977年
「日本マクドナルド20年のあゆみ」日本マクドナルド株式会社 平成3年 過去の制服の写真178Pに出ている。

<ウエッブサイト>
Made To Measure (業界紙)
From Golden Arches to a Gold Standard
: A Historical Review of McDonald’s Uniforms by By Judy Sternlight
http://www.madetomeasuremag.com/features/pre2003/951411631.html

Advertising Age社(業界紙)
マクドナルドの新ユニフォーム
http://www.adage.com/article?article_id=46205

Nation’s Restaurant News(外食産業専門誌)
http://www.nrn.com/ Restaurant & Institute (外食産業専門誌)
http://www.foodservice411.com/rimag/
NPD 社 (外食専門コンサルタント会社)
http://www.npd.com/
TNS Intersearch社 (コンサルタント会社)
 Fast Food Consumer Commitment Study
http://www.tns-i.com/ 
Technomic 社 (外食専門コンサルタント会社)
http://www.technomic.com/home_content.html

<その他、米国制服と繊維関係のウエッブサイト>
The National Association of Uniform Manufacturers and Distributors
http://www.naumd.com/
The American Association of Textile Chemists and Colorists  
http://www.aatcc.org/
American Apparel and Footwear Association  
http://www.apparelandfootwear.org/
米国繊維関係リンク  
http://www.fabriclink.com/L-Assoc.html

スタンフォード大学の性格役割の実験 (仕事における制服の効果は心理学的には性格役割と言う概念で説明できる。性格役割とは1971年 アメリカの心理学者ジンバルトによって行われた臨床実験「囚人と看守の実験」で実証されている考え方で、実験の詳細は以下のサイトで閲覧できる。)
http://www.prisonexp.org/

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