日本の食文化をつたえるこのメニュー 第11回目 神戸フロインドリーブ(日本ハム ロータリー 2011年11-12月号 )

神戸にある老舗ベーカリーのフロインドリーブは1995年1月17日に発生した阪神淡路大震災の被害で休業をせざるを得なかった。店頭に貼り出した休業のポスターに顧客から「早く営業を再開して欲しい、このパンが欲しい」という寄せ書きが書き込まれるようになった。顧客に元気づけられたフロインドリーブは営業を再開。
大震災の後、経済面で地盤沈下した神戸の景気は悪化し、数多くの老舗が店舗を閉鎖するようになって寂しくなっていた神戸だが、フロインドリーブは3代目の現社長、ヘラ・フロインドリーブ・上原さんの決断のお陰で以前より大繁盛するパン洋菓子店とカフェを経営するようになっている。
フロインドリーブを創業したハインリッヒ・フロインドリーブ1世さんは1884年ドイツ・チューリンゲン・ユ�ツ�ンバッハで生まれ、14歳からパン屋の見習生となり、18歳でドイツ海軍に入隊し、軍艦エムデン号のベーカーとして10年勤務し、中国・青島で退役後現地でパン屋を開業。第一次世界大戦時に軍隊に復帰し、日本軍に捕虜となり名古屋の捕虜終了所で終戦を迎えるが、帰国せず敷島製パン株式会社に初代技師長として迎えられる。
その後、1924年(大正13年)に神戸中山手一丁目で妻のヨンさんと2人でパン屋を開業した。第二次世界大戦前には神戸を中心にパン・洋菓子店、レストランを10店舗も展開した。しかし、神戸は空襲で焼け野原になり、フロインドリーブさんはすべての店を失ってしまった。戦後、神戸市中山手一丁目に30坪の土地を借り、パン洋菓子のお店を再開した。
1920年生まれの長男のハインリッヒ・フロインドリーブ2世さんは1932年にドイツの菓子屋に修行に赴き、35年にドイツ国家技術者試験に合格。1949年にはドイツ国家マイスター試験に合格し、1951年に妻と2人の子供と帰国。名古屋の敷島製パン技師についた後、1955年に有限会社ジャーマン・ホームベーカリーを設立し、代表取締役に就任した。現在91歳だが、まだ元気で、現場の指導やドイツの往来を続けている。フロインドリーブのこだわりは最高品質の粉、塩、バター(昔ながらの手法で手造りで製造し、冷蔵状態に保管するバター)、水、イースト、砂糖を使うことだ。冷凍や冷蔵は一切しない。今でも昔からのレシピーによる手造りで、パン生地を捏ねたり型抜きも手作業だ。焼きあげる窯もラックオーブンではなく、フロインドリーブのパンや菓子に最適のレンガ窯(中に耐火レンガを敷いて電気で温める)で2世とオーブンメーカーの共作だ。須磨の旧工場からトラックに積んで現在の工場2階に運び込んで大事に使っている。
手造りの技術を維持するために従業員には3年から4年かけてパン・菓子の製造技術を教え、希望者には卒業試験を課して技術の継承を図っている。フロインドリーブ1世・2世はドイツのパン・菓子の製造技術をマスターしているが、女性の上原社長の場合はご主人が結婚と同時に工場に入り厳しい修行を積んで伝統の味を守っている。
また、味を守るためには自ら製造を管理できる範囲でなければいけないと、本店の他に、神戸市内の大丸とそごうの売店と、新神戸駅、神戸空港の4箇所しかお店を出していない堅実な経営方針を貫いている。
1990年3月にヘラ・フロインドリーブ・上原さんが3代目の社長に就任し、1995年に地震の大被害にあった。地震後、半年で再開したが地震後の粉塵と虫の発生に悩まされていた。その時にご主人の上原さんが街を歩いて、二人の結婚式の想い出のある旧神戸ユニオン教会(地震で廃墟となっていた)を通りがかり、インスピレーションがひらめき、その場所を購入することを決めた。上原社長は昔の寒い教会を思い出し、あまり乗り気ではなかったが、製造を担当しているご主人のアイディアに従うことにした。教会と隣の駐車場の購入、そして、壊れた教会建物の再建に19億円という巨費を投じた。長年地元で堅実経営していた信用で、地元の金融機関から借り入れることができた。
駐車場には新しい工場を建設し、教会の一階(元集会所)にはパンと菓子の販売所、2階の礼拝所にはカフェを開業した。そして新しい本店が繁盛するようになり、老朽化した旧店舗を閉鎖することにしたのだった。
筆者は40年ほど前より、フロインドリーブのクロワッサンやジャムパイ、ミートパイ、ライ麦パン、クッキーが大好きであったが、嬉しいことに新しいカフェでは自家製のサンドイッチを楽しめる。このサンドイッチは上原社長のお母様が子供の頃に作ってくれていたサンドイッチのレシピーを元に創り上げたものだ。筆者の大好物なのは自家製のローストビーフサンドイッチ1680円だ。天井の高いクラシックな店舗でゆったりと美味しいサンドイッチを食べるのは最高の贅沢だ。欠点は昼であれば開店前の1時間ほど前に行かないとあっという間に満席になることだ。
有名な建築家ヴォーリズが建築した教会を改装したカフェは関西の私鉄やJRの観光用ポスターに使われたりして、あっという間に全国規模で知名度が上がったのだった。上原社長は「私はケセラセラの性格ですから、なんとかなるだろうと19億円も借りて投資したのです。現在では10億円を既に返済しています。」と語っているが、そのビジネスの決断には感心させられる。
上原社長に家業を3代続ける秘訣を尋ねたら「フロインドリーブ家の方針で子供の頃から家業に自然に入るようにしているのが良いのでしょう。私も中学生時代からパンの配達を手伝い、高校卒業と同時に自然に入社していました。息子と娘も家業を手伝っており、息子がこれから工場でパンと菓子の製造を学んでくれたら嬉しいですね。」と語ってくれた。

著書 経営参考図書 一覧
TOP