日本の食文化をつたえるこのメニュー 第8回 洋食 勝烈庵(日本ハムロータリー2011年3-4月号)

横浜と言うと中華街のイメージが強いが、実は肉料理の洋風の飲食店も多く、牛鍋の元祖も横浜だと言われている。その横浜を訪問する時に筆者が必ず食事を楽しむのが洋食の勝烈庵だ。とんかつ屋と言うと怒られる。「洋食屋と言ってほしい。そのために、、調理人は洋食のコック服を着ている。」と語るのは4代目の本多初穂さんだ。
 勝烈庵はひれかつの勝烈定食が売り物だ。カナダ産の安全で上質のヒレ肉を薄く切り開き、縮まないように鰻蒲焼のように串を刺して衣をつけて四角い形状に揚げる。使うパン粉は別に経営する馬車道十番館で特別に焼かせた生パン粉だ。形状は普通の食パンだが、揚げ物に合うように糖分や油脂を特別に調整している。 
その柔らかいとんかつにかけるソースが絶品のドロットしたソースだ。トマトやリンゴなどの野菜・果物をベースに2日間煮込んだあと1日休ませて完成させる。今でも、本店の調理場で勤続50年以上のベテランの調理人が製造に当たっている。保存料などの添加剤を一切使っていないので、製造して2日ほどしか日持ちしない。そのため、美味しい勝烈庵は本店の関内を中心に横浜に4軒しかない。その他、デパートや駅ビルなどに持ち帰り専門店を20店ほど経営しているが、持ち帰りに対応しているのでソースは保存性が良いように若干味が異なっている。美味しいソースを食べるには店舗に行くしかないのだ。店舗の常連さんは2人で一瓶のソースを使い切るほど人気だと言う。とんかつにかけても美味しいのだが、お代わり自由のキャベツにドレッシングのようにかけて食べるのが通のようだ。
 関内駅に近い馬車道総本店の構えが素晴らしい、店頭の勝烈庵の文字は版画家の棟方 志功さんが書いたものだ。白い暖簾をくぐると目の前にL字型のカウンターが広がり、そこでとんかつをどんどん揚げている。2階は広いテーブル席と、宴会も出来る座敷がある。さらに店内には棟方志功さんの書や板画が掲げられ、まるで美術館の趣だ。なぜ勝烈庵がこんなに素晴らしいのか何時も不思議に思っていた。そこで今回は本多初穂さんに歴史と味の秘密を伺った。
創業の小澤竹蔵(おざわたけぞう、故人)氏は慶應義塾大学出身で岩井商店(現・日商岩井)、スタンダード石油、デンマーク名誉領事、等を歴任した当時で言うハイカラな方だった。その小澤さんがとんかつ屋を開業しようと色々な有名店を食べ歩いて開発したのが現在の勝烈定食とソースだった。そして昭和2年に馬車道にほど近い真砂町に勝烈庵を開店しあっという間に大繁盛店となり幾つかの支店を経営した。小澤さんの素晴らしいのは、戦前でありながらすでに店名の勝烈庵の商標登録をしていたと言うことだ。戦後、元の従業員が勝烈庵の店名で店舗を始めたが、訴訟で店名を守ったという。その後、戦争で閉店し終戦後に本多マサオ(ホンダマサオ 祖母 故人)さんに暖簾を譲った。マサオさんは戦前に横浜でカフェを経営した経験のある商売上手だった。そのカフェで知り合った朝日新聞社の記者をしていた本多正道(ホンダマサミチ 祖父 故人)のやりなさいと言う一言で、勝烈庵伊勢佐木町店を任されていた若和田テイ(ワカワダテイ)さんと共に再興した。
 本多正道さんは美術が好きで陶芸家の浜田庄治さんの陶器を収集していたが、その紹介で版画家の棟方志功さんと知り合い、店舗の看板を依頼し作品を収集していったのだ。3代目の本多正人さん(ホンダマサト 父、現社長)も広告代理店に長く勤め、やはり美術が好きでガラス工芸品を収集していた。その趣味が高じて山手十番館や馬車道十番館を設立し、美術品を展示しているほどだ。その本多正人さんを支えて経営に当たったのが奥様の本多尚子さんだ。(ホンダナオコ 母 故人)4代目の初穂さんもやはり広告代理店勤務していたが、お母さんの尚子さんが亡くなった後、家業を継ぐことになった。この商売上手な女性経営者の血と新聞社や広告代理店という文化的な伝統が、この素晴らしい勝烈庵を作り上げたのだ。また、社員やパートタイマーに対する福利厚生も昔から充実しており、それが各店舗のベテラン女性従業員の確保に貢献している。その高い品質とサービスの良さから全国から出店依頼の話はあるのだが、美味しいものをお客様に食べて貰いたい、とあえてソースの配送できる範囲に限り、その他の地域への多店舗展開はしないと言う経営理念に感心する。   
 筆者はL字型のカウンターに座り、調理を眺めながら勝烈定食を楽しむ。120gのサイズは1470円、180gの大勝烈定食は2100円とリーズナブルだ。もちろん大勝烈定食を注文する。目の前でとんかつを揚げているのだが、その横で、カツ・サンドを作っている。馬車道十番館の特製食パンのスライスを丁寧にフライパンで焼き上げ、そこに揚げたてのヒレカツを特製ソースをたっぷり塗ってはさむ。ヒレカツと食パンの形状がぴったりで美味しいのだ。常連は勝烈定食を食べながらカツ・サンドを注文し、家のお土産にする。筆者も注文するのだが家に帰る途中に思わず食べてしまう。

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