マックの裏側 第5回

マクドナルド時代の話

<2>クラーク・ボールドウイン

 筆者の最初の米国研修旅行後、品質管理に真剣に取り組む必要性を感じだし
た。それが、スーパーバイザーが品質管理のために行う店舗のチェックリスト
の作成であった。マクドナルドのスーパーバイザーは顧客から見た品質として
QSCと言う、品質、サービス、クレンリネスの3つを管理しなくてはいけな
い。
 当初は顧客から見たQSCの管理として、「SVR(ストアー・ビジテーシ
ョン・リポート)」と言うチェックリストを作成していた。店舗を無予告で訪
問し、顧客の視点でQSCをチェックし、点数をつける。当時のマクドナルド
は顧客を待たせないようにあらかじめハンバーガーやマックフライポテトを作
り置きした。でも賞味期限をハンバーガーで10分、マックフライポテトで7
分と設定し、時間が経過したら廃棄する。

 作り置きをする量が少ないと品切れで顧客を待たせるし、あまり作りすぎる
と廃棄ロスが増えて利益が低下し、そのバランスが難しい。店舗前を通る人の
数を見ながら販売予測をする技術も難しい。

 店舗に入ったら、まず、どの位商品を作り置きしているか、賞味期限を守っ
ているか、を観察し記録する。次に商品を購入してマニュアルどおりに作って
いるか、温度は正しいかを確認する。ハンバーガーであれば肉にきちんと火が
通っているか、焦げ目がきちんとついているか、バンズは綺麗な狐色に焼けて
いるか、をチェック。コーラであれば、温度と氷の量が正しいか、炭酸ガスの
量が適正かをチェック。もちろん、注文してから1分以内で提供されるかも大
事だ。

 注文受けをしたクルーが、正しい手順で商品を提供するか、つり銭を間違え
ないか、レシートをきちんと手渡すか、注文時に他の商品のお勧め売りをする
のか、笑顔があるのか、を瞬時にチェック。クレンリネス、清潔さについて
は、店舗入り口周辺、窓ガラス、客席の床、テーブル上、トイレ、厨房内を瞬
間にチェック。

 店舗に入って15分ほどで以上の点をチェックし、チェックリストに記入
し、店舗の責者に伝える。このチェックは1店舗に月に2回実施する。訪問す
るたびに問題点が解決しているか、改善されれば良いのだが、改善されなけれ
ば担当の社員や店長の評価が下がり、昇給やボーナスに影響するようになって
いた。

 このストアー・ビジテーション・リポートは効果があるのだが、店舗の根本
的な解決にはならなかった。店舗をほんの15分で判断するのでは十分ではな
いのではないかということになり、店舗の総合的な診断を行うべきだと言うこ
とになった。それが「コンサルテーションリポート」と言う米国マクドナルド
で開発された総合診断であった。

 この綜合診断は店舗に実施時期を数ヶ月前に予告し、事前にチェックリスト
を渡し、店舗であらかじめ改善をさせておく。清掃が必要な箇所は清掃し、修
理が必要な場所は業者に直してもらうか、自分たちで修理を行う。料理の提供
時間もあらかじめ計測し、問題があれば、従業員のトレーニングを行うなど対
策を行っておく。この総合診断の目的は店舗のスタッフ自ら問題点に気がつ
き、改善をさせると言うものだった。

 そして、予告した日にスーパーバイザーが店舗を訪問し、店長とともにすべ
ての箇所をチェックしていく。品質であれば、ハンバーガーの肉の重量、形
状、冷凍状態から、バンズの気泡、直径、厚さをノギスで計測する。そして、
ハンバーガーを焼くグリドルの温度の設定、バンズを焼くトースターの温度と
時間設定、炭酸飲料の温度と炭酸ガス濃度、希釈倍数のチェックなど、計測機
器などを使用して詳細に記録をつけていく。さらに、人の教育や計数管理もし
っかり行っているのかも確認していく。
 販売面では、マーケティング面において商圏の把握、近隣への販売促進はど
のように行っていくのかを見ていく。次は利益管理だ。エアコンの温度設定か
ら、原材料のロス管理、人件費管理まで詳細にチェックする。

 この総合診断は朝から晩まで2日間かけて徹底的におこなう。導入当初は劇
的な効果が出た。ところが、何回か実施するうちに改善していない問題が発生
した。改善していないのが、店長の責任であれば解決できるのだが、調理機器
や食材が悪いため、品質のスコアーが悪い場合は、店舗では対策のしようがな
い。

 それが、グリドルの設計上の温度ムラや温度回復力、トースターの設計上の
温度ムラや回復力、バンズやミート、ケチャップなどの品質であった。帰国
後、米国マニュアルを読むにつれ、調理機器や原材料の問題は店舗を預かる筆
者達の仕事ではない、資材部(商品の仕入れと品質管理を担当)や建設部(調
理機器と店舗設計施工担当)の仕事だと不満を持つようになり、それをジョン
朝原に訴えていた。

 ある時に米国の海外運営担当のバイス・プレジデント(日本の企業の部長職
)のクラーク・ボールドウイン氏が日本を訪問し、ジョン・朝原氏と一緒に食
事をした。ちょうどイトーヨーカ堂が米国のデニーズ社と提携し、1号店を横
浜上大岡に開いたので連れて行った。米国のレストランだから気にいるだろう
と思ったのだ。ボールドウイン氏はステーキを頼んで、出てきたステーキをフ
ーフー吹く。熱いから冷まそうとしたのでなく、吹けば飛ぶように薄いと言い
たかったのだ。デニーズのようなコーヒーショップは朝食で利用するだけの安
い大衆レストランであり、普通の米国人はディナーで利用しないことを筆者は
知らなかったのだ。それを覚えていた朝原氏は、先回お話ししたように米国研
修旅行で筆者をビクトリアステーションに連れて行き、2ポンドの分厚い肉の
塊を食べさせ、米国人の食べる肉料理の分厚さとバリューを実感させたのだっ
た。食事をしながらボールドウイン氏は「何か仕事で問題があれば遠慮なく言
いなさい」と言うので、原材料が悪いことや調理機器が悪いことを訴えた。彼
は何と「それは君が直しなさい」と言う。

 筆者は「私の仕事は店舗の管理であり、機械や食材はその専門の部署が改善
するべきだ。それに機械や食材の知識は学んでいない」と答えた。彼は「問題
を感じる人がその問題を解決するのだ。私もそれらの知識を持っていなかった
けれど、勉強して自ら改善してきたのだ。他の部署の責任だと逃げないで自分
で勉強して改善したまえ。そのために必要な予算はあげるし、失敗してもかま
わないよ」というではないか。しかし筆者は「日本の会社は縦割りで、店舗運
営部の筆者が他部署に口を出すことはできないし、食材のスペック(レシピー)
も知らない」と逃げようとしたが、彼は「私の権限で,君が他の部署に文句を
言い、改善してもよいようにする。金庫に厳重にしまってあるスペックもいつ
でも見てよいようにする」という。この一言で筆者の逃げ道はなくなり、それ
から真剣に品質管理に取り組まざるを得なくなった。ジョン・朝原氏のセッテ
ィングしたこの会食の効果は絶大であった。

 筆者はこののち、スーパーバイザーや統括スーパーバイザー、運営部長とい
う店舗運営の仕事の傍ら、品質管理や調理機械の改善という複数の仕事をせざ
るを得なくなった。のちには統括運営部長時代に機器開発部長も兼任するとい
う本職となってしまったくらいだ。

 この「問題を感じる人がその問題を解決するのだ。私もそれらの知識を持っ
ていなかったけれど、勉強して自ら改善してきたのだ。」という考え方は、創
業者のレイ・クロックや後にCEO を長年務めた、実力者フレッド・ターナーの
モットーだった。

7)任せっきりでなく、必要な時にサポートする。
 朝原氏の社員教育のユニークだったのは、社員に自分の進路を選ばせ、能力
を伸ばさせることであったが、決して放任ではなかった。それぞれの社員が仕
事上で困っていたりしたときには適切なタイミングで現れ、的確なアドバイス
や環境を与えてくれたのだ。

 社員教育のために1980年初頭にサンフランシスコ郊外のシリコンバレーの中
心サンタ・クララ市に店舗を構えた。現地法人のカリフォルニア・ファミリー
・レストラン(C.F.R.)という会社であった。店舗を運営する社員を統括スーパ
ーバイザー、スーパーバイザーから3名ほどを選抜して2年間程度送るという形
態であった。

 ジョン朝原氏は最初あまり乗り気ではなかったが、フランチャイズ化が遅い
日本がフランチャイズ化に乗り出せる一歩になるかもしれないと積極的に関与
するようになった。カリフォルニアは朝原氏の出身の地区であり、地区のマッ
ク関係者をよく知っていたからでもある。

 筆者が統括スーパーバイザー時代に、一言も英語を話せないのに2代目の現
地責任者としてCFRに派遣された。現地に行って半年後に仕事には慣れた
が、まだ英語も不慣れなのにちょっとマンネリを感じ伸び悩んでいた。その時
にふらりと現れたジョン朝原氏は、筆者の英語の進捗状況と仕事ぶりを見たの
ち(見るだけでなく、筆者の部下の日本人社員や、米国人社員、アルバイトま
で面接して多面的に筆者の仕事を把握する)、食事をしながら悩みと勉強した
いことを聞いてくれ、サンフランシスコ・リージョン(地区本部)の人やシカ
ゴ本社の人と話して。適切な新しい研修カリキュラムを作ってくれたり、適切
な人を紹介してくれた。

 また2年3か月後に日本に帰国し、関西地区リージョンに配属後、統括SV
として働き、1年後に運営部長に就任した際も、困ったり、迷った時に、まる
でそれを察したように現れ、考え方を整理し、方向修正のアドバイスをくれ
た。

 筆者はその後、2番目の地区本部中央地区本部の運営部長(2年)、本社の
運営統括部長兼海外運営部長兼機器開発部長(2年)を経験した。不運なことに
本社の運営統括部長時代に藤田田氏の次男がマーケッティング部長として出向
してきて、新商品開発に全力を挙げた。

 フレッシュマック、グラタンマック、チキンタツタなど、ホットドックなど
の人気商品を開発した優秀な人であったが、所詮マクドナルドビジネスを理解
していないので、マックチャオ(チャーハン)やカレーライス、菓子パンとい
った駄作で危険な商品も売り出した。売れない駄作だけであれば問題ないのだ
が、安全上の問題も発生した。カレーライスは雑菌が多いので一般的にレトル
トいう、耐熱のパッケージに入れ、高温高圧加熱をする。それではフレーバー
が飛ぶということで、常温調理後プラスチックパッケージに入れ、冷凍して店
舗に配布した。店舗の一般社員は衛生管理に詳しくない。普段食べているレト
ルトカレーと同じだと勘違いして温度管理がおろそかになると、雑菌が増殖し
て事故の危険があった。また冷蔵のハムと新鮮野菜を組み合わせ、加熱調理を
せず、常温で提供するフッレシュマックはおいしいのだが、雑菌の増殖で食中
毒の危険性があった。

 筆者は全国の店舗の運営責任を担当する立場から、それらの問題を厳しく指
摘せざるを得なかった。藤田田氏は、ワンマン社長で怖い方ではあったが、ゼ
ロから会社を作り上げるという苦労を知っており、社員を怒った後は社員のフ
ォローを忘れなかった。藤田田氏は、社員として人に使われるという経験はな
かったが、会社をゼロから立ち上げたので、人の確保の重要性を理解してお
り、部下の仕事上の失敗で激怒することはあっても、部下のメンツを完全につ
ぶしたり、解雇することはなかった(不正を働いた場合は別であったが)。藤田
田氏は自分が会社で働いた経験がなかったためか、二人の子息に他人の飯を食
わせることはなかった(他の会社で勤務するという苦労)。そのため、残念な
がら、二人の子息は部下に情け容赦なかった。部下が反論したり、方針に従わ
ないとメンツを失うまで叱責罵倒する。

 そんな環境で1992年に筆者は、閑職に追いやられ、退職を決意した。退職
後、外食分野のコンサルタント業に従事しながら、大学教授に就任したり、自
ら飲食店を経営してきた。通常会社を辞めた後は、元部下であってもあまり交
流はないはずであった。しかし朝原氏は数年ごとに筆者の状況を尋ねてくれ
た。朝原氏は1998年にマクドナルドを退職し帰米するのだが、その際にも一緒
に食事をした。帰国後も、電話をくれたり、数年に一回は日本を訪問し、訪ね
てくれた。これは筆者だけでなく、他の社員やフランチャイジーも同様であっ
た。筆者が病気で長期入院中の2012年末にも来日し見舞ってくれた。退院後20
13年11月30日、2014年5月にも来てくれた。2014年5月には恵比寿のジョエル・
ロブションでの米寿を祝う会にも教え子10数名を招いてくれた。

 朝原氏はなくなる半年ほど前の2015年10月30日に癌で侵された体を引きづっ
て日本を訪問してくれた際に会食をしたのが最後であった。このように、退職
した後も、教え子を心配してくれ励ましてくれたのだった。

<5>環境2 米国本社での研修
上記の店舗での研修が軌道に乗ると、店舗研修の適性を判断し、シカゴにあ
る米国本社での研修や、異なる地域のリージョンでの研修をするようになっ
た。筆者は、店舗運営、調理機器などの分野を進んだが、人により、さらに上
の地区本部長の勉強や(東海岸などの地区で数年勤務)、ハンバーガー大学で
の勉強、フランチャイズの管理業務、法務の業務、品質管理の業務、情報機器
(POS)などの業務、店舗開発業務、などを学ばせるようになった。
 2店舗の責任者や米国本社での研修者になった人は大変優秀で、後に日本KF
Cの役員や米国ディズニーの東南アジアの責任者になった中澤一雄氏、ユニク
ロ役員(副社長や監査役)の田中明氏、日本トイザらスの初代社長になった田崎
学氏、関西有力フランチャイジーの佐藤明氏他たくさんいる。

5)人材抜擢
 ジョン朝原氏が米国式マネージメントでこだわったのが、実績主義の人材抜
擢だった。一般に日本企業は、年功序列で、実績や成果を重視しないが、急成
長中の日本マクドナルドの人材育成には年功序列でない成果や実績を重んじる
という考え方だ。初期の新卒社員の八木康行氏の猛烈な働きぶりと実績を認
め、通常は数年かかるところを入社後1年で店長に抜擢した。その後八木康行
氏は2代目社長に就任した。この抜擢主義は、運営部では当然となった。

6)会議で自由に発言させる
 考えて、徹底して実行すること、上司に対しても積極的に自分の考えを発言
する、などが、米国マクドナルド創業者のレイ・クロックとフレッド・ターナ
ーの共通した考え方であった。また、フレッド・ターナーは、問題を発見して
改善が必要と感じたものが改善すればよい、素人でも仕事の徹底した改善を通
じて、専門家並みの知識を得られるという考え方だった。
 自由という意味では、創業者のレイ・クロック氏の考え方が強く影響してい
る。マクドナルドは、シカゴ市内で創業し、後にシカゴ郊外のオークブルック
市に立派な本社を建て、2代目CEOのフレッド・ターナー氏が、そこから車で15
分くらいの原生林の中に立派な、ハンバーガー大学とホテルを隣接した本社を
建てた(The Hyatt Lodge at McDonald’s Campus 2815 Jorie Boulevard 
Oak Brook, Illinois, USA, 60523 残念ながら、リストラのために2016年に
シカゴ市内に移転してしまったが)。筆者は両方の建物に何回も訪問し感銘を
受けた。シカゴは金融と牛肉などの農業製品の集散地であり、歴史のある保守
的な街だ。西海岸のカリフルニアでは、ノーネクタイで勤務でき、高級なレス
トランでも気楽なノーネクタイで訪問できる。しかし、保守的な金融都市シカ
ゴではネクタイとスーツで勤務し、高級なレストランもネクタイ着用がマナー
だ。オフィスも同様だ。小さな会社でも管理職ともなると、専用の秘書と個室
が与えられる。大手企業になると、部屋に専用のトイレを備え、管理職用のレ
ストラン(フレンチ)を設けている。レイ・クロックはそんな堅苦しい保守的な
シカゴを嫌い、CEOを退くと、自由なカリフルニアのサンディエゴに移住した
くらいだ。そのレイ・クロックが作った本社は、西海岸流だ。管理職でも個室
や専用の秘書はいない。大部屋をパーティションで仕切られた机があるだけだ
(もっとも立派な内装ではあるが)。秘書も管理職数名に一人だ。CEOに話し
たい場合でも予約なしで訪問できるようにして、オープンドアーポリシーとう
たっている。まるで、シリコンバレーのITベンチャー企業の趣だった。このレ
イ・クロック氏の古いオフィスは、ハンバーガー大学の入り口に再現してい
た。

 その自由闊達な会社を作ろうという思想は、フレッド。ターナー氏にしっか
りと受け継がれており、日本マクドナルド創業時に、日本マクドナルド店舗を
訪問し、上司の命令に一言も質問や異議を唱えず、決められた手順で作業する
日本人社員を見て、驚愕すると同時に危険を感じたフレッド・ターナーは、ジ
ョン朝原氏に、自由闊達な社員づくりを命じたのだろう。それが会議での積極
的な発言を奨励することだった。

 会議の進行も同様に積極性を求めた。一般に日本人は会議の時に発言が少な
い。上司が一方的に報告し終わることが多い。ジョン朝原氏は、会議に出席し
たら、積極的に質問や反論、意見などの自分の考え方を言うことを求めた。会
議に出席し一言も発言しないと激怒した。いくら正しい考え方を持っていて
も、現場で実践していてもそれを発言しないのは、仕事の成果がないという考
え方だった。間違った考え方でも、発言し、反論がなければ正解となるという
積極的な姿勢を求めた。

 筆者が本社における会議に出席したのは、入社2年後に店長から複数店舗を
管理するスーパーバイザー(以降SVと省略)に昇進した翌週の月曜日だった。
SV会議は2週に1回開催されていた。店長会議と同じで会社の売り上げ動向
や、販売促進の発表の後、各店舗の問題点と改善状況を報告するのだと気楽に
参加した。SVになったばかりだから自己紹介をしてSV会議後,歓迎会など
をしてくれる物だと甘い考えを持っていた。ジョン朝原氏は普段店舗に来ると
筆者が何をしているか、なぜそれをやるのかをただ聞いているだけで、優しい
おじさんじゃないかと思っていた。そのジョン朝原氏がSV会議で怒り狂いだ
したのだ。会社創立時入社の人たちは外資系の経営方針に興味を持ち、それを
学んでいつかは独立して自分の会社を持ちたいという独立志向の強い人たちが
多かった。ジョン朝原氏とは考え方も違うし言葉の壁もあり、かなり店舗運営
方針でやりとりがあったようだ。ジョン朝原氏は米国では店長の経験しかない
し言葉の問題もあり能力が不足するから、日本人のスタッフだけで運営したほ
うが良いのではないかという意見も出ていた。そんな状況の中で優秀な複数の
スタッフが退職し、グループを結成して新しい外食チェーン・サンドイッチハ
ウスの設立を行った。それがジョン朝原氏に対する批判だと思ったのだろう、
退職者の部門の後任者と部下に対して怒りがぶつけられたわけだ。普通日本の
会社の会議というのは本音をぶつける場ではなく淡々と議事進行をするわけだ
が、その会議はもろに本音のぶつかり合いで、罵声が飛び交い、うっかり発言
などしよう物なら蜂の巣にされそうな雰囲気で、一言も発言する機会もなく会
議は終了してしまった。店長会議と異なりSV会議はトレーニングの場ではな
く、期日を切って成果を要求されると言うのが大きな違いだった。会議の規則
は二つだけ、「ノー・エキスキューズ(言い訳無用)」という厳しい物で、で
きたかできないか、できなければその理由といつまでに改善するのか,そのた
めには何をするのかという具体的な内容だった。二番目の規則は「UP or OU
T 出世する解雇されるか」というのもので、SV会議はまさにその実践の厳
しい場であった。
こんな会議を毎週やられたら体が持たないないなというのが実感で,本社にい
たら怖いというイメージを植え付けさせられた。店舗にいてQSCをしっかり管
理していた方が流れ弾に当たることもないし安全だなと思わされた一日だっ
た。
 この厳しい会議参加で筆者は鍛えられた。のちにマクドナルドのロゴマーク
問題で先願商標登記をされた問題の裁判で一審で敗北し、高等裁判所の控訴審
に筆者が証人出廷させれた。緊張する証人尋問に、顔色一つ変えずに裁判官と
相手弁護人を爆笑させ勝訴できた。また、米軍基地のマクドナルドが円高で価
格が高いと文句を言われ、米国海軍の提督や将校を前の厳しい交渉や、県警や
組織暴力団との怖い交渉なども、顔色一つ変えずに対応できるようになったの
は、この厳しい会議運営のたまものだ。

 そういう意味では、マクドナルド2014年年末の異物混入後の2015年正月の社
長不在の記者会見での取締役2名のおどおどした自信のない対応は残念だっ
た。しかも、この2人の取締役の1名は(社外出身者)この取材のあと、ショッ
クで出社できなくなってしまったそうだ。厳しいトレーニング不在であるとい
え、現在のマクドナルド社の将来が思いやられる。
 
続く

王利彰(おう・としあき)

王利彰(おう・としあき)

昭和22年東京都生まれ。立教大学法学部卒業後、(株)レストラン西武(現・西洋フードシステム)を経て、日本マクドナルド入社。SV、米国駐在、機器開発、海外運営、事業開発の各統括責任者を経て独立。外食チェーン企業の指導のかたわら立教大学、女子栄養大学の非常勤講師も務める。 有限会社 清晃(せいこう) 代表取締役

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