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引き続き車のお話をします。車と食のお話に関係ないようですが、実は大いにあるのです。トヨタとマクドナルドは深い関係にあります。トヨタは1970年代にマクドナルドがドライブスルー店舗を展開しだした頃より、マクドナルドに興味を持っていました。そして、日本マクドナルド3代目社長原田泳幸が大幅な直営店舗のフランチャイズ化をした際に100店舗近い店舗をフランチャイジーとして獲得したのが、新潟トヨタ関連(当時、現在は資本関係はないようですが)でクオリティフーズという会社です。現在はなんと150店、年商280億円まで成長しています。

クオリティフーズ
http://www.qualityfoods.co.jp/

新潟トヨタ
http://926u4.net

等々力家お家騒動
https://www.zaikainiigata.com/?p=5624

等々力徹 2015年新潟トヨタ社長 現クオリティフード社長
https://www.netdenjd.com/articles/-/137698

等々力好泰 新潟トヨタ 社長
http://t-w-h.info/information/index.html

株式会社エヌ・ティー・アソシエイションは新潟トヨタ関連の持ち株会社
情報
http://ltipp.my03.com/one-289.html

2021年05月15日の日経本誌に車5社、最終損益改善へ:日本経済新聞
という記事で、
cobeacon@gamil.com
21年月期の売り上げ利益が発表されていました。

1位 トヨタ 売り上げ27兆2145億円 利益2兆2452億円
2位 ホンダ     13兆1705億円     6574億円
3位 日産       7兆8625億円    -4486億円

と出て、日産を大きく引き離しています。

 車産業の隆盛期(私が車に乗り出した1970年から1990年)にはトヨタと日産が競っていたのですが。今回はなぜ日産が苦境に陥ったか見ていきましょう。

まず自動車産業の現状と歴史を見てみましょう

2019年度ランキング
https://monoist.atmarkit.co.jp/mn/articles/2009/30/news063.html

2016年度
https://jp.ub-speeda.com/ex/analysis/archive/43/

2016年から2020年 業界動向 日本自動車販売協会連合会
http://www.jada.or.jp/wp-content/uploads/ba60b5300f94ca27fe24eb6771866aa2.pdf

自動車産業の市場規模
https://gyokai-search.com/3-car.htm

 1960年代半ばから80年における自動車メーカーのマーケティング・チャネル戦略の軌跡-トヨタによる複数マーケティング・チャネルの積極的展開を中心
専修大学 商学部 石川和男
https://core.ac.uk/download/pdf/71790844.
https://core.ac.uk/download/pdf/35425262.pdf

日本の自動車産業
https://www.teikokushoin.co.jp/journals/geography/pdf/200510/geography200510-14-16.pdf

研究ノート
「ケーススタディ トヨタ自動車」 岩崎尚人
https://www.seijo.ac.jp/pdf/faeco/kenkyu/171/iwasaki.pdf

日本自動車産業の革新と成長
 日本大学大学院総合社会情報研究科 立石佳代
https://www.jstage.jst.go.jp/article/gscs/2/1/2_50/_pdf/-char/ja

ウイキペディア 自動車産業
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E8%87%AA%E5%8B%95%E8%BB%8A%E7%94%A3%E6%A5%AD

 自動車産業の実態は上記の資料で見ていただき、両社の比較を、利益率、企業体質、経営者の理念、商品戦略、の4つで見て見ましょう

1)利益率

 トヨタの強さは利益体質で、日産に最も欠けている部分です。一般的には乾いたぞうきんを絞って利益を出すという、トヨタの利益の源泉である、トヨタ生産方式TPS(改善、看板方式など)と思われていますが、実はトヨタの本当の利益の源泉は販売です。

<1>トヨタ生産方式TPS

ウイキペディア
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E3%83%88%E3%83%A8%E3%82%BF%E7%94%9F%E7%94%A3%E6%96%B9%E5%BC%8F

トヨタ HP
https://www.toyota.co.jp/jpn/company/history/75years/text/entering_the_automotive_business/chapter1/section4/item4.html

https://global.toyota/jp/company/vision-and-philosophy/production-system/

トヨタ生産方式の基礎知識
https://www.ipros.jp/technote/basic-tps/

大野耐一
https://gazoo.com/feature/gazoo-museum/car-history/14/03/19/

トヨタ生産方式(TPS)の基本原理
https://gazoo.com/feature/gazoo-museum/car-history/14/03/14/

<2>トヨタの販売技術とディーラー
 今のトヨタの利益を見ると信じられませんが、第2次世界大戦後2年たった時に2億円が不足し、倒産の危機となりました。日銀の手配により、銀行借り入れを行い生き延びました。しかしその代償として、生産部門トヨタ自動車工業と販売部門トヨタ自動車販売の分離を求められました。その時にトヨタ自動車販売の社長についたのが、神谷正太郎です。三井物産勤務時代に海外勤務で英語と海外とのビジネスを学び、転職した日本GMのナンバー2を務めた経験から、1935年にトヨタに入社し、GM式の販売方法を導入したのです。
 神谷の功績は、各地の優良企業をトヨタの販売店(ディーラー)年、さらに顧客が買いやすい割賦販売を取り入れたことです。この割賦販売により車が売りやすくなったことだけでなく、金利収入という武器を手に入れたのです。
 さらに米国進出を推し進めたのです。これが現在のトヨタの最大の強みですね。1975年にトヨタ自販の社長を退いて、1982年、トヨタ自工とトヨタ自販は対等合併し、トヨタ自動車株式会社となったのです。神谷の存在がトヨタの最大の成功要因でしょう。

 神谷正太郎 トヨタ自販
https://gazoo.com/feature/gazoo-museum/car-history/14/03/14/

<3>日産の技術の優位性がトヨタによって崩された
 車好きにとって、良い自動車は技術的に進んでいなければなりませんでした。1970年ころのイメージは、販売(サービス)のトヨタ、技術の日産でした。日産は日立製作所の流れを持つ技術会社であり、後に日産入りしたプリンス自動車は、中島飛行機・立川飛行機が源流で、日産自動車は一時ロケットの製造部門を持っていたくらい、技術屋の塊でした。その象徴は日本第2回グランプリですね。
https://gazoo.com/feature/gazoo-museum/car-history/14/05/09_1/

 販売のトヨタ、技術の日産と呼ばれていました。それが崩れたのが、1980年代です。販売のトヨタは変わりないのですが、技術の日産というイメージが壊されたのです。
車は日本の工業技術の集大成です。車好きにとって、車の技術や性能が大事なのです。
 1960年から1980年の間の日産の技術はトヨタをはるかに凌駕していました。第1回日本グランプルは1963年に開催されましたが、プリンス自動車は振るいませんでした。それに奮起し1964年の第2回グランプリで、エンジンをチューニングし、1500ccクラスのスカイラインに2000ccのグロリアエンジンを積み、前長を20cm伸ばし、無理やり押し込んでしまったのです。さらにレース用ウエーバーのキャブレーターを3個つけ、125馬力を出し、ホモロゲーションを得るために100台を手作りし、伝説のスカイライン2000GTを誕生させたのです。その相手はなんとポルシェのレース用のミッドシップレイアウトのポルシェ904でした。180馬力の水平対向4気筒エンジンを積み、車重はわずかに650kg。対するスカイラインは日本初の3連装ウェーバーキャブを備えるものの、最高出力は125馬力で、車重は1トンを超えました。生粋のレーシングマシン相手では到底勝ち目はないと思われたのですが、互角の勝負で総合2位となったのです。私はこのホモロゲーションの車を手に入れたのですが、当時は排気ガス規制などないし、他に早い車がなく、街では最強でした。

 この第2回グランプリ以降、技術の日産(当時はプリンス)は最高の武器になりました。
プリンス
 プリンス自動車(旧・中島飛行機系、立川飛行機出身の、外山保、田中次郎ら技術者により、1947年に「東京電気自動車」として電気自動車の製造販売スタート。ブリッジストンタイヤや、石橋正二郎も出資。1966年8月1日をもって日産自動車と合併した)
http://xn--ja-fi4a1e0d7b5709a7y7duhya.wikipedia.org/wiki/%E3%83%97%E3%83%AA%E3%83%B3%E3%82%B9%E8%87%AA%E5%8B%95%E8%BB%8A%E5%B7%A5%E6%A5%AD

技術の日産を覆したレーザーエンジン開発者 金原
https://www.jsae.or.jp/~dat1/interview/interview040413.pdf

「鈴木弘燃(こうねん)トヨタからフォード日本社長
レーザーエンジンでイメージを変えた。
ミッション・インポッシブル
1995/07/27, 日本経済新聞 夕刊, 5ページ,
フォード日本社長鈴木弘然氏(人間発見)

 トヨタ自販の社員として、販売促進を担当し、当時トヨタ自販が運営していた米国事業に赴任し、79年年に日本に戻って来た時に豊田章一郎トヨタ自販社長(後、トヨタ自動車会長)から「トヨタの技術イメージが日産に劣るのは耐えられない」と言われ、技術イメージの根幹はエンジンではないかと思いました。それでレーザーというネーミングをつくり、とにかくトヨタは新世代エンジンに変わったというキャンペーンをやったのです。「新技術、時代はトヨタ」というのをテレビ、新聞で流し、カタログ、封筒に至るまで目につくところにはすべて載せました。モーターショーも全部エンジン。それで一年たって調査をしたら、技術イメージはトヨタの方が上になったのです。
 さらに訪問販売という古いことこだわらず、日曜に販売店の店を開けさせたのです。

日産キャッチフレーズ歴史
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E7%94%A3%E8%87%AA%E5%8B%95%E8%BB%8A#%E3%82%AD%E3%83%A3%E3%83%83%E3%83%81%E3%83%95%E3%83%AC%E3%83%BC%E3%82%BA

2)企業体質

1970年代-1990年代-第二次世界大戦後からシェアを積み上げ、一時はトヨタ自動車につぐ日本国内第2位のシェアを占めていたが、日本国内の日産車のシェアが年々低下の一途を辿り、経営陣と塩路一郎委員長率いる強固な労働組合との激しい抗争が長期に及び、1980年代後半には901活動による車両性能の向上と共に個性的なエクステリアデザインや商品戦略が各界から高く評価されて日産自動車全体のブランドイメージが向上するも、1990年代に入り、バブル景気の崩壊後は財務が悪化した上、デザインや商品戦略などの相次ぐ失敗で販売不振に陥り、経営危機が深刻化する。

<1>日産自動車沿革
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E7%94%A3%E8%87%AA%E5%8B%95%E8%BB%8A

<2>日産の経営不振の歴史ととどめを刺したカルロスゴーン
 日産は経営が安定していなく、歴代の社長は車の門外漢であり、労働組合が強く低迷して、フランスのルノーの支援により再生を目指し、カルロスゴーンを迎えたのがとどめとなりました。

巨額赤字の日産自動車で呼び覚まされる泥沼人事抗争の歴史
https://net.keizaikai.co.jp/48414

日産ゴーン事件で蘇る「塩路天皇」問題という負の歴史
https://diamond.jp/articles/-/189866

https://bestcarweb.jp/news/2663
https://www.tbr.co.jp/event/mot/pdf/eve_a012.pdf
https://www.asahi.com/special/carlosghosn/
https://mag.sendenkaigi.com/kouhou/202001/crisis-management-pr-2020/017750.php

日産自動車の販売台数減少
https://wedge.ismedia.jp/articles/-/14905

<3>ゴーン開発車は少ない
 カルロスゴーンはリストラで成果を出したのですが、成長の源泉となる車作りはだめでした。最初に作ったのはティーダ・ラティオでプラットフォームは、アライアンス関係を結んでいるルノーと共同開発し、すでにマーチやルノー・モデュスなどで使用されていたアライアンス・Bプラットフォームをベースに、ホイールベースを大幅に延長したものが使用されたのですが、フランス人好みの丸い車で人気が出ませんでした。ゴーンが作った良い車は、フェアレディ―Zと日産GTR位で、消え去った名車が多いのです。

3)経営者の理念
 日産とトヨタの大きな違いは経営者の理念です。両社の沿革や歴代社長を比較するとよくわかります。トヨタは創業者の豊田佐吉の血統を引くものや、豊田佐吉の薫陶を受けた優秀な人が多いのです。そして現社長の豊田章男はカーガイと呼ばれ車をこよなく愛し、モリゾーというニックネームでレース参加に参加しトヨタ車を愛用しています。豊田章男の奥さんは松坂の三井本家出身です。地元愛知に密着ですね。

 息子・豊田大輔は最近出光創業家関係の方と結婚を発表し、トヨタのソフト部門とウーブンシティー計画従事と、トヨタの将来を見れる部署で修業と時期経営者育成がしっかりしています。

トヨタ沿革
https://global.toyota/jp/company/trajectory-of-toyota/history/
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%88%E3%83%A8%E3%82%BF%E8%87%AA%E5%8B%95%E8%BB%8A

<1>トヨタ歴代社長
https://www.toyota.co.jp/jpn/company/history/75years/data/company_information/management_and_finances/management/executives/past.html

<2>日産歴代社長
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E7%94%A3%E8%87%AA%E5%8B%95%E8%BB%8A

<3>現トヨタ社長は車が好き
豊田章男、カーガイ。モリゾーというニックネームでレース参加。
https://post.tv-asahi.co.jp/post-74036/
https://www.webcartop.jp/2021/01/638033/
https://premium.toyokeizai.net/articles/-/21026
https://car.watch.impress.co.jp/docs/news/1273795.html
https://toyotatimes.jp/insidetoyota/038.html?padid=from_t-times_insidetoyotatop_https://anincline.com/toyoda-akio/
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%B1%8A%E7%94%B0%E7%AB%A0%E7%94%B7

息子豊田大輔
https://akanote.com/2021/03/16/toyota-akio-son/
https://response.jp/article/2021/03/17/344031.html

<4>ゴーンは日産を愛していなかった。ポリシーがなかった。
 2001年-ゴーンが6月に社長兼最高経営責任者(CEO)となり、3年後には何とポルシェで事故を起こしているのです。これが日産GTRだったらわかるのですが。

ゴーン、ポルシェで事故 2004年2月8日
https://response.jp/article/2004/02/10/57725.html
https://agora-web.jp/archives/2037659.html

4)商品戦略

 日産は現在売る車がありません。売れる車作りをしていません。
トヨタカーラインアップ
https://toyota.jp/carlineup/

日産カーラインアップ
https://car.watch.impress.co.jp/docs/news/1316748.html

<1>日産衰退の象徴
 車のマーケティングで大事なのは、車を見て(コマーシャル、ニュース、映画等)実際に乗ることです。

 見るという意味では、有名人などが乗る姿を見ることです。その見るという意味で、日本で最も高貴な皇室の方々が乗る車・御料車です。その他、ハイウエイパトロールカー、高速道路・道路公団パトロールカー、官公庁車・企業重役車、タクシーなどですね。日産はプリンス自動車時代から、御料車を手がけ、日産プリンスロワイヤルというV12気筒の名車を納めてきました。現在はトヨタセンチュリー改造車ですね。
 速さの象徴であるハイウエイパトロールカーはトヨタクラウンと日産セドリックでした。現在はトヨタクラウンとスバルレガシーB4ですね。フェアレディーZや日産GTR等の多少は日産社もありますが、企業などの寄付にすぎません。高速道路・道路公団パトロールカーは大型4駆が条件で、以前は日産サファリ、トヨタクルーザーでしたが、日産が国内での大型4駆を販売していないので、現在はトヨタランドクルーザーのみです。
 官公庁車・企業重役車は以前はトヨタクラウン、日産セドリックでしたが、現在はトヨタ寡占です。クラウンに始まり、レクサス、センチュリー、大型ワンボックスのアルファードですね。ニュースで見ると官僚や大臣はアルファード、首相はセンチュリーですね。決め手は車の種類と環境にやさしいハイブリッドですね。日産にはセドリック後継のフーガのハイブレッドがありますが、見たことがありません。
 大型ワンボックスは日産のエル・グランドが豪華なワンボックスという企業経営者向けの車を開発したのですが、現在はハイブレッドイのアルファード一強です。日産のエル・グランドは最近10年ぶりにマイナーチェンジしたのですが、ハイブリッドがないのです。 タクシーは実際にのれるし、運転手に話を聞けるので大事です。特に個人タクシーの運転手は車種にこだわります。以前の個人タクシーはクラウン4割、セドリックは6割の比率でした。理由はセドリックのほうが丈夫だということでした。クラウンが30から40万キロ走行寿命、セドリックが40から50万キロ走行寿命と言っていました。

 タクシーは以前はトヨタクラウンとセドリックの2強でした。ただクラウンが3ナンバーになるに従い、トヨタはセダンのクラウン/コンフォート、日産はクルーというタクシー専用車になりました。当時のこれら専用車の販売価格は150万円くらいでメーカの利益はほとんどなかったのでしょう。日産は商用車のNV200バネットを改造してタクシー用にしました。NV200バネットを電気自動車にしてニューヨーク市のタクシーへの売り込みようでしたがうまくいきませんでした。NV200バネットを国内タクシー向けにプルパンガス仕様にしましたが人気が出ず、現在ほとんど見ません。商用車ベースで乗り心地が硬いし、何と後席の窓は片側しか開かず、荷物室に押し込まれたようで、不快感を覚えるからです。
 その結果、現在は全部トヨタです。トヨタは、ハイブリッドのプリウス、プリウスα、ノア、アルファード、ジャパンタクシーのラインアップがあります。しかも主流のジャパンタクシーは300万円以上と販売価格が高く、トヨタはしっかり儲けています。

1.御料車
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BE%A1%E6%96%99%E8%BB%8A

2.ハイウエイパトロールカー
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%AB%98%E9%80%9F%E9%81%93%E8%B7%AF%E4%BA%A4%E9%80%9A%E8%AD%A6%E5%AF%9F%E9%9A%8A
https://motor-fan.jp/article/10008828
https://kuruma-news.jp/post/199761
https://radiolife.com/security/police/19580/
https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q11150581391?__ysp=5Lqk6YCa5qmf5YuV6ZqKIOODkeODiOOCq%2BODvA%3D%3D
https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q14240967744?__ysp=5Lqk6YCa5qmf5YuV6ZqKIOODkeODiOOCq%2BODvA%3D%3D
https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q14240967744?__ysp=5Lqk6YCa5qmf5YuV6ZqKIOODkeODiOOCq%2BODvA%3D%3D

3.高速道路 道路公団パトロールカー仕様
https://www.nagoya-expressway.or.jp/nyusatu/pdf/shiyou310315.pdf
https://www.nhp-tokyo.co.jp/mamechisiki_k/car/index.html

4.官公庁車・企業重役車
 トヨタ独占でアルファード、センチュリー、レクサス、クラウン
https://car-moby.jp/article/car-life/useful-information/official-car/
https://www.toko-corp.co.jp/officer-driver/1402/

5.タクシー
歴史
https://p-chan.jp/taxi/column/history
https://www.taxisite.com/feature/history/1912.html
https://showono.com/taxi1/

車種
https://bestcarweb.jp/news/53175
https://www.webcartop.jp/2020/06/539795/

ジャパンタクシー価格
https://autoc-one.jp/news/5001770/

<2>最近の車種別ランキング
 2021年3月のランキングでは三菱OEMの軽自動車が入るくらいです。今年モデルチェンジしたノートは振るいません。理由は全部E-POWERにしたので価格が高過ぎるのです。
https://car.watch.impress.co.jp/docs/news/1316748.html
 価格が高いエル・グランドは全然売れませんが競合のトヨタアルファードは月間1万台以上売れているのです。E-POWERに頼りすぎで、エントリーレベルの車がないし、ラインアップが、少ないですね。

トヨタカーラインアップ
https://toyota.jp/carlineup/

日産カーラインアップ
https://car.watch.impress.co.jp/docs/news/1316748.html

以上

王利彰(おう・としあき)

王利彰(おう・としあき)

昭和22年東京都生まれ。立教大学法学部卒業後、(株)レストラン西武(現・西洋フードシステム)を経て、日本マクドナルド入社。SV、米国駐在、機器開発、海外運営、事業開発の各統括責任者を経て独立。外食チェーン企業の指導のかたわら立教大学、女子栄養大学の非常勤講師も務めた。 有限会社 清晃(せいこう) 代表取締役

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