水産タイムズ社 橋本様インタビュー

FBプロデューサー日記

インターンシップ生 山下さんの記事です。

こんにちは、立教大学三年の山下佳也と申します。現在私は、インターンシップ生として、Facebookでの情報発信の活動をしながら、外食産業を勉強しています。

先日、水産タイムズ社の橋本武寿様にインタビューをさせていただきました。今回、私にとって初めてのインタビューでとても緊張していました。しかし、橋本さんから、三國シェフへインタビューした時のエピソードなどを聞かせていただき、緊張している私に対して、そんなに心配しなくても大丈夫というメッセージを感じました。インタビュー中、橋本さんから私に対しても質問してくださいました。また、私が言葉に詰まったときには、丹治朋子先生が用意した質問以外の質問がされて、インタビューの流れというものを感じました。王先生、石川さんは相槌などで、このインタビューをいい雰囲気にしてくださっていると感じました。インタビューを実際に体験することができて、とても勉強になりました。初めは、外食産業について勉強し始めたばかりの自分がインタビュアーという立場で大丈夫なのか不安でした。しかし、橋本さんが丁寧に質問に答えてくださったこと、王先生、丹治先生、石川さんがサポートしてくださったこともあり、なんとかインタビューが成立しました。このインタビュー以後、メディアで取り上げられるインタビューを注目して見るようになりました。このような貴重な機会をいただき、ありがとうございました。橋本さんのインタビュー内容をご紹介します。

ー 現在のお仕事など、橋本さまの自己紹介をお願いします。

水産業界の情報発信している水産タイムズ社に転職で入り25年目です。水産業界から派生した、冷凍食品産業や冷蔵倉庫業など、外食産業を下支えする業界の取材をしています。あまり表に出ることはないですが、地道に真面目に取り組んでいる人を取材しています。取材場所は、日本国内に限らず、タイやベトナムなど海外出張もしています。また、webセミナーや海外視察ツアーなどの企画もしています。

ー 初めてのインタビューで緊張しています。橋本さんが初めてインタビューをしたときのことで覚えてることはありますか?

初めてのインタビューは覚えていないですが、三國清三さんというフレンチのシェフの方にインタビューした時のことを覚えています。学校給食団体の記念誌に記事を載せるため、三國シェフにインタビューすることになりました。事前に食育について資料を読み込んで準備万端でインタビューに望んだのですが、三國シェフが当たり前に使う、「フランベ」などの専門用語がわからず、料理界の大物の前で恥ずかしい思いをしました。しかし、逆にそんなことも知らないのかと、面白がられて、打ち解けた雰囲気になり、以降も取材や講演会など、仕事を受けてくれるようになりました。

ー インタビューのコツはありますか?

私も普段のインタビューで、いっぱいいっぱいです。インタビューで大切なことは、取材相手といい雰囲気を作ることです。緊張感が漂う中でインタビューしても、話しづらく、いつも出てくる言葉が出て来なかったりして、いいインタビューにはなりません。いい雰囲気のインタビューがいい話になると思います。また、想定内のインタビューになることは少ないので、臨機応変にならざるを得ません。用意した質問は大切ですが、その質問に囚われすぎる必要も無く、いい流れで話せれば、いい取材ができたと言えます。ただし、初めのうちは、難しいと思うので、用意した質問通りになってしまうのも仕方ないです。

ー  学生時代はどのように過ごされてましたか?

部活をやっていました。水泳部に所属していて、水交寮という立教大学新座キャンパスの寮で生活していました。水泳部の活動では地域の子供達に教える活動があり、OB会などの協力もあってグアム旅行や合宿をしました。

ー  学生時代にやっておきたかったことはありますか?

社会人になってから読んだ本に、沢木耕太郎の深夜特急と言う本があります。これを読んで、バックパッカーをやってみたいと思いました。大学当時はやりたいと考えていなかったのですが、後からやっておけばよかったなと思うことがあります。

ー  学生時代、印象に残っている授業はありますか?

山形県の高畠町に農業体験した授業です。数日間の農業体験の思い出が印象に残っています。また、高畠町はスタジオジブリの映画「おもひでぽろぽろ」の舞台で、農業体験中に、監督の高畑勲さんのお話を聞く機会がありました。貴重な体験ができたので一番印象に残っています。

ー 人生の転機などに影響を与えた出会いはありますか?

今の仕事に応募したきっかけは椎名誠さんの本です。大学を卒業してから福島テレビに就職しました。取材活動をイメージして就職したのですが、実際はデスクワークばかりでした。イメージが違い、今後の見通しも立たなかったため、転職することに決めました。少し時間が欲しいと考えて、すぐにサラリーマンに戻るのではなく、一年間アルバイト生活をしました。空港で貨物の仕分けの仕事をしたのですが、暇な時間もあり、その時間でなるべく本を読むことにしました。そのときに椎名誠さんの本を読んで、新聞社で働きたいと思いました。水産タイムズ社の募集を見つけ、応募しました。椎名誠さんのエッセイにも海に関するものもあり、興味を持ちました。

ー  転職されて以降、仕事を辞めたいと思ったことはありますか?

初めから冷凍食品に興味があったわけではありません。知らない分野で専門家の人に話を聞くと言うのは大変でした。特にこれが嫌だと思うことはありませんでしたが、このままでいいのかなということは思いました。しかし、1度決めたことだからとりあえず10年は続けようと思い、それがよかったのかなと思います。

ー  転職して現在のお仕事についてから、印象的な出会いはありますか?

発酵学者の小泉武夫さんが、捕鯨推進活動をされていることもあり、水産タイムズの座談会などに参加していました。椎名誠さんが対談していた人が身近にいることに驚いたのと、知識が豊富なのにも関わらず、謙虚で接しやすい小泉さんを見て、自分もこうならないといけないと思いました。また、普段、目立たないところで、仕事をしている人に取材をすることが多いです。自分が書いた記事をそれぞれの家族の方に読んでもらって、感謝されたときはこの仕事をやっててよかったと思います。海外出張をしている人の取材では、自分が書いた記事によって、現地で頑張っている様子が伝わり、家族の方に感謝してもらえたことが嬉しかったです。

最後の記事となる今回は、冷凍食品業界のお話です。

橋本さんが気になる企業や、海外での冷凍食品生産の歴史、SNSで話題となった選手村の餃子についてなどお話しくださいました。私はその存在が当たり前すぎて冷凍食品について考えたこともなかったのですが、お話しを聞き、学べたことで、冷凍食品についての意識が変わりました。スーパーに行けば当たり前にある冷凍食品が、どのような過程でそこにあるのかが少しわかった気がして、うれしく思います。

ー 気になっている企業はありますか?

ロイヤルホールディングスさんです。ロイヤルさんの主な産業である宿泊業と飲食業は、コロナの打撃を受けています。その中で、生き残る道として双日という商社と提携をしました。今後力を入れていく取り組みに、家庭用冷凍食品があり、それがどうなっていくのか気になります。

ー 元々ロイヤルホールディングスが作っていた業務用の冷凍食品と、家庭用の冷凍食品は同じような製造過程なのでしょうか?(丹治先生)

現場を見ていないので確認はできていませんが、同じ工場で家庭用と業務用を作っていると聞いています。しかし、これから家庭用の冷凍食品に力を入れるとなると、現状の製造ラインでは生産力の限界が出てきます。新しい工場を作るには資金が必要ですが、双日との提携で目処が立ちました。ただし、どの程度家庭用冷凍食品に投資するかは、ロイヤルグループ全体の兼ね合いがあり、今まさに計画段階だと思います。

ー セントラルキッチンを持っていない外食事業者が冷凍食品を販売したいと思っても簡単にはできないため、冷凍食品メーカーがサポートするシステムが見られます。ロイヤルさんもそのような事業展開を考えているのでしょうか?(丹治先生)

他社の製品を工場で生産することを、OEM生産と言いますが、ロイヤルホールディングスがOEM生産をするためにキャパシティを増やす計画は無いと聞いています。ロイヤルさんは違いますが、冷凍食品産業は初期費用も高く、参入障壁が高いため、工場を持っている企業が持っていない企業の生産を手伝う事例はたくさんあります。

<ここからは、質問に関連して、橋本さんの回答内容をまとめます。>

ー オリンピックでの世界一美味しい選手村の餃子について

アメリカのラグビー選手のSNSで選手村の餃子が話題になりました。あれは某冷凍食品社の餃子で、選手が発信したことによって大きな宣伝になりました。ここで大事だと思うことは、餃子が、GYOZAと表記されていることです。翻訳されたdumplingではなく、GYOZAという表記であることは、餃子がGYOZAとして世界で通用していることを表しています。実際にアメリカでの需要も伸びていて、売り上げの半分近くが海外での消費になりつつある会社もあります。タイで作られたGYOZAはヨーロッパに運ばれたり、アメリカの工場の不足分を補ったりしています。このほかにも餃子の工場は世界各地にあり、全体で供給を賄っています。GYOZAはグローバルな存在になっています。

ー 冷凍食品の海外生産が始まった経緯について

日本企業が海外で冷凍食品を作るようになったのは1988年以降です。この背景には、1985年のプラザ合意があります。プラザ合意で円高になり、輸出不利となったことで海外での生産が始まりました。最初は中国やタイでの生産が中心でした。しかし、中国やタイの人件費が高くなったため、現在のトレンドはベトナムやインドネシアです。

ー 日本の冷凍食品も海外で作っているのですか?

レジ周りの商品は色々作っていて、例えばファミチキはタイで作っています。国内品でないといけないのは、学校給食の世界だけです。また、学校給食は、冷凍食品の販路拡大に大きく貢献しました。しかし、東京都の給食は冷凍食品が使えない決まりになっています。そのため、冷凍食品メーカーが力を入れていることに、まずは東京都の人に冷凍食品を食べてもらうということがありますが、給食の採用には至りません。

以上で記事は終了です。ご覧いただきありがとうございました!

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